この時。この場所。この対話。
この思い、この瞬間。
先日、公園のベンチで隣席した老人が不意に言った。
人は生きている、活かされているという
実感を得る表現というのは「あの」ではなく「この」だね、と。
「あの」という時、
そこには過去の一大事に憧憬をはせる、
追憶の助長を促すのにふさわしい。
けれど、視点はすべて過去に向かって閉じていく。
「この」という時は、
憧憬や夢はすでにリアルタイムな今と同時に、
その先に向かって開けていく新鮮さで溢れている。
この姿でこの状態で常にこの瞬間に沸き、
この次の未来にときめいている。
老人からすれば僕は孫のような若輩だが、
モチベーションは遥かに高く思えた。
負けられない。
隣りにいると自分がまだまだ蒼臭いと思えた。
さき一昨日、3日前という方が正確か。
あれもこれもは、1人のキャパシティでは追いきれない。
同じように、
あの秋にもこの秋にも自分を同時的に思うことはできない。
どちらかというと、
あの秋よりこの秋に自分を見つけることの方がいい。
だって、僕たち直近の未来が与える現在を
活きているのだから。
