運動能力も学習と同様、技能が数値化される。
測定値は座標のどの位置にあるか位相され、
全体の中で相対化される。
体力テスト、学年考査、偏差値。
優劣が明確になる。
30年前の放物線は、今と少し違う。
12歳の頃の兄は、野球チームに所属していた。
万年補欠だった。
練習の後、いつも人気のないグランドで
残った補欠の少年と3人で太鼓ベースをした。
交代で誰かが投げ、打ち、守った。
ライナーとフライ以外、
捕球できずに一度バウンドした打球は、
その地点からホームベースで待つ捕手に返球する
(でなければアウトは成立せず交代できない)。
優劣の争いはなく、単純におもしろかった。
僕は兄と同じチームで5番サードだった。
兄は、いつも僕の背中を押してくれた。
単純にうれしかった。
兄のためにもがんばろうと思った。
J小の運動場で時折、30年前の僕達を見る。
PS.
実のところ、僕は兄を持つ弟ではなく、妹のいる兄だ。小学4年の頃、はじめて少年野球チームから、レフトの守備と1番打者として参加オファーを受けた。居住自治区内の高学年ばかりの18人位のチームで、自分では決して野球ができるタイプだとは思っていなかったが、4年生で1人、レギュラーメンバーでの加入だった。補欠は同級が2人、5年と6年で5~6人だった。1級上のK坂君が、足が速かったがフライの補球に不安要素が強く、監督はその代替えとして僕を抜擢したらしい、とK坂君本人から聞いた。傷ついたのだろう、いや、これでやっとレギュラーの練習から逃れられる、というようなことを苦笑いしながら言った。がんばれよ、と言いながら補欠が担当する玉広いの外野の奥へ向かっていった。子ども心に、感じる必要のない罪悪感が襲った。K坂君は1年の頃からずっとチームで野球を続け、3年の補欠を経てやっと4年生でレギュラーになり、わずか1年と少しで補欠に戻されることを、その時知ったからだ。練習の後、K坂君ともう一人の5年生のレギュラーで彼の友人でもあるS山君と3人だけのグランドで太鼓ベースをした。よく打ち、足も速かったが、確かにライナーとフライの捕球が未熟だった。その夏のF市の少年野球大会で3位になった。K坂君は、3位決定戦の最終回に代打で出た。僕との交代だった。凡打でチェンジになった。初めての公式試合での出場だと言って、うれしそうだった。大会の翌日から彼の姿が消えた。監督から退部の報告を聞いた。僕も、S山君もショックを受けた。あの日以来、K坂君との交流が潮を引くように途絶えた。競争の勝ち負け、運動能力の優劣について虚しさを覚えた。誰かに負けることは悔しく、辛いが。勝つことも以外と辛い。その対戦あるいは競争相手が身近であればあるほど‥だから真剣勝負はあらゆるシチュエーション、ケースにおいて嫌いだ。
●ちょうど5年前の晩秋から初冬にかけ、書いていながらアップし忘れていた散文が数十本、古い控えフォルダから先ほど発見。時節に沿って、その時折の心象を成り行きに任せて綴ったショートストーリーのよう(こんなの書いていた事も先ほどまで忘れていた)。デフォルメを一切していないので、お見苦しくご不明な点があろうかと存じますが、どうかご海容ください。 ではまた後日、別の散文をアップします。
