ジャーナリストとノンフィクション作家。
それらを除くライター。
小説家、随筆家、エッセイスト。
そしてコピーライター。
これらを生業とする人々には夢想家が多いと思う。
現実の時空に存在する、今を生きる自分。
脳裏の中で、時空を超えた世界を旅する自分。
両者はまちがいなく別人だ。
特に後者の自分。
日常とも、現実ともつかない別の次元。
そこでは、風景も登場する人も。
語られる会話もすべてが把握されている。
その場所にいる自分は、時に主体であり客体となる。
が、そこで目にしているのは明らかに
客観という第3の存在。
映画のシークエンスに近い。
時に、ズームでその女性を照射する。
時に、パーンで家の中、家の周り、風景、外界。
果ては、500キロ先の友人の家へ瞬時に辿り着く。
非日常の時空。仮想の空間。空想の時間。
それは、夢想する人にとってこの上ない幸福となる。
イメージ、という不定形かつ無形な、そして抽象的な
物と事をいかに現実に指し示すか。
それが、写真であり。それは文章でもあり。
時にサウンドでもあったり。
撮影、執筆、選択、削除、追加、推敲、補正。
テイクのリピート、ダビング、ミキシング。
イメージを、より現実の知覚の世界へ変換する作業。
クリエイティブとは現実と仮想の間で
知覚化(視覚・聴覚化)される事象と考えてみたい。
リアルとバーチャルのインターフェイス。
インターフェースという言葉には
とても希望を感じる。
和訳を確認する前に、明るい兆候を感じた。
インター → 内へ向かう。外へ出会う。交互。互換。
フェイス → 顔。表面。記号。位相。
(本来の意味は、コンピュータ用語なので明らかに異なる。
ここでは一つの比喩表現として引用。 誤解なきようご注意願います)
境界面のテンションとエッジの造型。
地球の球面の向こう側からわずかに見え始めた陽光。
漆黒の闇に包まれた半球が金色に縁取られた弧。
半世紀前、コミュニケーションは
手紙か電報か電話か接見に限られていた。
今は、PCとスマホ1台ですべてが可能になる。
が、皮肉にもリアルな関係に発展する前に
クローズする関係が後を絶たない。
リアルを知り、そしてバーチャルへ向かう。
バーチャルを造るためには、リアルの記録が要求される。
今、この現在をリアルだとしたら
過去の回顧はそれまでの(現在の)堆積がなければ
不可能だろうし。
未来への洞察は、現在という地点の把握と理解が
なければ不可能だろう。
最も優れた夢想家は、最も秀でた現実家である。
こんな格言を、残した人が確かいたはずだが?
誰だったか、忘れた…。
