当たり前のことだが21世紀元年、

つまり2001年に生まれた人は、来年15歳になる。

15年という時間。

日数にするとおよそ5,475日、閏年を加味すると5,479日。

131,496時間。

あの日生まれた0歳児は中学2年生になり、

当時の小学2年生はすでに成人している。

還暦を過ぎると、年齢の換算は

10年がいくつと1年が何回という風に数えるようになる。

と言った人がいた。

ショットバーのカウンターで相席した初老の男性だった。

10年が3回と1年が6回とか10年が7回と1年が3回とか。

その内どの10年間が素敵だったか、

振り返るのも楽しみの一つです、と彼が笑った。

30代の私には思いつかない言葉だった。

年はただ無意味に取るために過ぎるのではない。

重ねた年齢はその人の生き様を円熟にする。

それでいい。

若い日は加齢した未来の自分に憧れる。

老いた日は、蒼くきらめいていた過去の自分に憧れる。

そういうものなのだろうか。




PS.
昨日、風呂上がりに脱衣場の隣りにある洗面所台の鏡を見て、少し驚いた。老いが加速していることを改めて実感したからだ。荒れてしわひだの増えた肌やたるみ、特に豊齢線が荒野を抉るクレバスのように深く、窪んで頬の起伏を高くしている。つい2,3年前まではさほど気にならなかった目のコジワと、白髪の混じった眉が眼光をひ弱にしているイメージがあった。しょうがないわな、30で結婚したものの38歳で初めて授かった子が、すでに中学1年にもなるのだから。思い出を辿ることはあまり好きではない。むしろ、ストーリーコピーを書く時に空想する際に辿る、というか辿らざるを得ない理想と史実の入り混じった思い出の方が好きだ。その方が、遡る自分の姿勢をポジティブにさせるから。ただそれだけの理由だが、30代の自分について、どうしてもポジティブないい思い出が出てこない。不思議なものだ。30代の自分を思う時、常に美化を意識している気がする。10年が5回目に入ってくると、人はそれを基点にした過去と未来の狭間でまだ右往左往するものだと思った。





●ちょうど5年前の晩秋から初冬にかけ、書いていながらアップし忘れていた散文が数十本、古い控えフォルダから先ほど発見。時節に沿って、その時折の心象を成り行きに任せて綴ったショートストーリーのよう(こんなの書いていた事も先ほどまで忘れていた)。デフォルメを一切していないので、お見苦しくご不明な点があろうかと存じますが、どうかご海容ください。 ではまた後日、別の散文をアップします。