新潟県の海岸にクマが現れて、釣り人にけがをさせた。
里山の危機が叫ばれてから久しい。
里山にクマが出没することは珍しいことではないけれども、山から里山を通り越して海岸まで出歩くようになったとは、当のクマたちには尋常ではない事態が山で起こっているためらしい。
炭酸ガス温暖化のせいなのか、今年の夏は暑かった。10月に入った今でも、まだ何処かに夏の気配をどこかに残している。これが長期的には一過性の現象かどうか、難しい問題らしいが、大勢の研究者とスーパーコンピュータを駆使した天候シミュレーションでは、炭酸ガスの排出が原因となっているらしい。
身近なところからエコを始めるのも草の根的に広がれば効果は出てくるだろう。
そういう希望の傍らでは、止まらない世界規模での開発欲求はますます高まっている気がする。
この問題、科学技術で解決できるのだろうか。
この疑問をなだめてくれるのは、今の技術が数多ある技術手段の中の一部の手段にしか過ぎないと考えれば、かなり気分的には楽観的になる。
要するに他の手段は無尽蔵にあったが、たまたま人が手にした技術が今ある技術様式に過ぎないということを、強く意識することだ。今の技術を基本に新しい技術をかぶせていくやり方は、経済的な方法なので、この手法を踏襲せざるを得ないという実情があるかも知れない。
膨らんだ経済は、経済拡大が前提で成立してしまっているような状況とも見られるから、コスト第一の技術開発は最優先されることは当然だ。
しかし、世界中の皆がその前提を絶対的な是として考えてしまったらと思うと、先行きの明るさに影が落ちてくる。
一つ、大学あたりの研究は、コストを勘案しない基礎研究を重視させるというのはどうだろうか。
財源は?ということになるのはわかるけれども、ガリレオとかニュートンとか、当時の科学はコストをどの程度考慮していたのだろうか。
天才も二兎を追うことは難しかったのだと思う。
私のブログの写真はクマだ。クマが山から海まで駆け降りてきたとは、何か居心地が良くないのだ。