イグ・ノーベル賞 - (1) | マイブログ

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こころのカラー。いつもレインボー(虹色)ならOK、でもモノトーンのときも。いずれ、じかんに刷り込まれては、無常で透明に・・・。折々のそんなこころを集めていくさきに、きっとなにかあるのかも。

賞の中の賞 - ノーベル賞は、この筆頭から外せない賞であることは万人が納得するだろう。一部にはスウェーデン賞と、何かの意図を示唆するような呼び方をする向きもあったりするが、このようなやっかみも出没するほど大変な賞である証拠でもある。


こんなノーベル賞のパロディー版が存在することをご存じの方も多いかと思う。

”イグ・ノーベル賞(Ig ノーベル賞)”だ。


イグ・ノーベル賞の公式サイト がある。”イグ・ノーベル賞”で検索すれば日本語のサイトも多い。


パロディー版というと、真に失礼になるだろう、実際には非常にユニークで実用性を重視している研究内容・実績に対して与えられる国際賞だ。


どんなユニークさを重視するかというと、

『人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究』が対象になる、という点だ。


過去に受賞したテーマを注意深くみてみると、決してパロディーや受けを狙って受賞できるような生半可な賞ではない。


一例を挙げさせて頂こう。


- 研究の内容と結果 -

「生きている二枚貝が閉じている状態のとき、”抗うつ薬”を投与すると閉じていた貝が開く」


”笑わせる”とあるが、純然たるお笑いでないことは察しがつく。テーマの根底に、恐るべきスケールアビリティーをもった未知の法則とでもいうべき何ものかの存在を感じる。


人の心に表と裏、より広くして自然界には右と左、とか白と黒、とかがあることを強く意図して設立された賞がイグ・ノーベル賞なのかもしれない。


算数ではマイナスの数の計算が登場しなかったが、数学には+と-の数が登場し、いずれはそれが当然となる。


やがては数は、(実数)+(虚数)→ 複素数、と発展して複素数なくして考えられない宇宙観を重要な精神のメタファーの一つに据えるようになってきた。


安易かも知れないが、(ノーベル賞)+(イグ・ノーベル賞)→(○○○○○賞)という発展形の賞を人類はそろそろ用意しなければならないのではないだろうか。