ノーベル賞おめでとう。 | ブログ~HeyBoon

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こころのカラー。カラーを集めていくさきに、なにかあるのかも。

ノーベル賞の化学部門で鈴木氏、根岸氏の両日本人と、米国のR.ヘック氏が選ばれた。一昨年のおわんくらげの下村氏らに続く、元気の出る快挙だ。


医学・生理学部門の山中氏は来年だろうか。日本にノーベル賞が集中するのを今年はできるだけ避けたとも見られるくらい、日本人がこの賞に多数、軒並みノミネートされているらしい。


国力の凋落云々と言われて久しいが、なかなかどうして実は文化、文明の根っこの部分で日本の国力は増している。


スポーツにしてもそうだ。イチロー、松井、をはじめとする野球選手、今年のサッカーワールドカップ、音楽にしてもバイオリンからピアノまで日本人は世界のトップを占めるようになってきた。しかもこれまでの海外勢を凌いでいるといっても過言ではないだろう。


高度成長期を経ながら日本は驚くべき想像力を蓄積してきている。


皮肉なのは国内のオピニオンリーダー的な立場の権威者には、海外のトピックスのストーリーテラーとして国内の人気者になっているケースが多いことにうんざりするのは私だけではないだろう。


そのことの功罪をとやかく言うことには全く意味がないだろう。

むしろ、そのような土壌であるからこそ、日本人はオリジナリティーが育まれてきたとも考えられる。


その一つに島国であることの特異性があるのかもしれない。


その典型的なものが、日本人は外国語が不得手という一面では大変損な長所である。英語が上達することは日本人から乖離することだと言われる。


私の知る限り、確かに独創的な人物は外国語が苦手な人が多い。

外国語を流暢に操ることに多くのエネルギーを使っていないとも言えよう。

外国語がうまいくなると独創性がなくなるということでは決してない。


日本語には独特の曖昧さがある。この曖昧さが独創力を醸造するのに巧妙な装置として機能しているのではないかと思う。


このことは長年、どうもそうではないかと感じ続けてきたことだが、どうやら事実に違いないと思うようになった。


ディベートとか、スピーチとか、うまくない国民であるが、それがいいことなのだ。


久しぶりに私自身も、何か自信らしきものを取りもどしたような思いがした。