【OSHO禅タロット学習 Day15】
昨日の結果は、古い慣習に関する事と
リーディング結果を捉え、記事にしました。
古い慣習に変化を加えるために
いつもと違う行動を意識しています。
早朝からカフェに行く事
朝ブログを書く事
学びの講座に参加する事
ふと感じた事を行動に移す事等
※ふと思うは神の声、後から思うは魔の声
怠けていた自分の心に
喝を注入中です。
ただ、今日のリーディング結果を見ると
昨日の解釈は、少し短絡的だったように感じます。
今日を最高に過ごす為の気づき
(現状)①LETTING GO(手放し)
(助言)②FIGHTING(戦い)
(結果)③MORALITY(道徳)
❶LETTING GO(手放し)
<OSHOの説明>
存在にあっては、
優れている人は一人もいないし、
劣っている人も一人もいない。
一枚の草の葉も大きな星も全く平等だ…。
だが、人間はほかのものよりも高い位を占めたがる。
自然を征服したがる。だからこそ、
人間はたえず戦わなければならないのだ。
この戦いからあらゆる複雑さが生まれる。
無垢な人とは、戦うことを放棄した人のことだ。
より高い位を占める事にはもはや興味のない人、
自分は特別なのだという事を行動で示し、
証明する事にはもはや興味がない人のことだ。
一厘のバラの花のように、
あるいは蓮の葉の上のしずくのようになった人のこと、
この永遠の一部になった人のこと、
溶け、溶け去り、大海と一つになり、
まさに一つの波になった人のこと、
「私」という考えがない人のことだ。
「私」の消失こそが無垢だ。
<考察>
昨日同様に手放す内容のカードです。
最近、意識していることは古い慣習を手放す事。
今日は、手放す事について
純粋な気持ちを持つことへの気づきを
感じさせてくれたように思います。
私自身が、なにをしたいのか?
どう在りたいのか?
を考えている自分の現状を
改めて確認させてくれました。
❷FIGHTING(戦い)
<OSHOの説明>
ある瞬間にそこにあったものが、
別の瞬間にはなくなっている。
ある瞬間には私たちはここにいるが、
別の瞬間にはもういなくなっている。
が、ちっぽけな瞬間のために、
私たちはどんなに大騒ぎする事だろう。
どれほど多くの暴力、野心、戦い、衝突、怒り、憎しみが ー。
ただ、この短い瞬間のために!
駅の待合室で列車を待っているだけなのに、
とんでもない大騒ぎをする。
争い、傷つけ合い、自分のものにしようとして、
服従させようとして、支配しようとして
ー すべて政治だ。
そして、列車がやってきて、
あなた方は永遠になくなってしまう。
<考察>
このカードを見た時に、
心当たりを感じました。
「見えない敵」
それは、エゴが作り出した幻影かもしれません。
が、自分の頭の中に「それ」があるかもしれない。
と感じました。※妄想癖かな…。
いつまで戦う自分でいるのでしょう…
自分が戦うことを止めない限り
思考の中で同じことが凝り返される…
分かっているけど、中々止めれなかった…
思考が作り出す幻影を
意識して止めない限り
この地獄は続きます。
思考を(無理に)止めようとすると
止める意識が強くなり
逆に、意識することになりそうなので
その環境から離れる。
その環境と別の場所に身を置く事を
試してみようかと思います。
それが自分にとっての戦いを止める。
事に繋がってほしいと願っています。
<OSHOの説明>
菩提達磨…は、道徳家、厳格な人、いわゆる善人たち、
空想的社会改良家たちをはるかに超えている。
彼は問題を底の底まで理解している。
覚醒があなたの中で湧きおこらない限り、
あなた方の道徳はすべて偽物だ。
あなた方の教養は誰にでも破壊できる薄い層に過ぎない。
だが、ひとたびあなたの道徳が何か規律からではなく、
あなたの覚醒から出てくるようになったら、
それは全く別のものだ。
そうなったら、あらゆる状況で、
あなたは自分の覚醒から応じるようになる。
そして、あなたのすることはすべて良くなる。
覚醒には悪いことなどなにひとつできない。
それが覚醒の究極の美 ー。
覚醒から出てくるものは、すべてただ美しく、
ただ正しく、どんな努力も訓練も伴っていないという事だ。
だから、枝や葉を切るのではなく、根を切るがいい。
そして、根を切るには、一つの技法以外に方法はない。
油断せずにいるための、醒めてあるための、
意識してあるための技法だ。
<考察>
昨日に続いて「MORALITY」を
❸枚目に引きました。
考察が足りない?
考察が間違っていた?
そんな風に感じて、
ふと昨日のリーディング結果を確認しました。
自分の解釈なので間違いではないと思いますが
(確かに)昨日の考察は、あまりにも、
自分に都合の良い解釈のように感じました。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
都合よく解釈しすぎ = 解釈が足りない
こんな風に感じました。
<再考察>
学校や社会で学んだ「道徳観」「思考」に
自分自身がコントロールされている事を知る。
「思考」にコントロールされているという事は
~すべき。こうあるべき。という、
一定の条件付けの元に思考がある。
条件付けの元、自分は判断している事に気づく。
条件付けの元に下す判断は、
真に自分が望む事ではない。
その事に気づく事で
思考のコントロールが外れていく。
<自分の道徳観とは?>
大きなことに挑戦すると
邪魔が入るのが社会の基本である。
と過去に学び、今もそう感じています。
大きな事業展開は、特に邪魔が入る。
邪魔を避けるために大きな後ろ盾(協力者)が必要。
とこの数年間に学びました。
私自身が、この道徳観(思考)に、
私自身、そんな大きな事業展開を進めてませんが
過去の学び(エゴ)が私を脅かします。
<最終的な結論>
❷枚目のアドバイスに従い
❸枚目の結果を得る事を考えると
3つの対処方法が頭に浮かびました。
①気にしない。思考を消す。
②大きな後ろ盾を得る。
③その環境から身を引く。
長年の癖なので①は難しそうです。
仮に対処できても時間がかかります。
②は簡単ではありません。
仮に得たとしても、大きな対価が必要?
私は、そんな対価を持ち合わせていません。
※対価が必要というエゴかも,,,
結果的に、自分の最良の選択は
③その環境から身を引く
になりそうで、辻褄も合います。
身を引くことで
2年を費やした活動期間と経費
そして、大きな期待値を失いますが
別の事業に意識を向けることが出来ます。
その事業で、同じくらいの結果を出す。
その気持ちで自分の中で処理して
前を向こうと思いました。
何度も同じことを繰り返しています。
昨年も、手放すと決めました。
1度に限らず、数回決めました。
しかしながら、まだ同じ話をしている自分がいます。
今回、改めて意識を向ける機会を得ました。
今度こそ、ぐるぐる行動する自分に終止符を打つ。
身を引く勇気が、今必要な気がします。
最近、帝王学を学ぶ機会がありました。
はじめの一歩を踏み出したところですが、
帝王学では、「在り方」も勉強しています。
次の学習ステップに進むかは検討中ですが
講義を通じて、「在り方」が心に響いています。
(脅威を感じて)
本来の自分を表現できない環境より
(気持ちよく)自分を表現できる環境で
「在り方」を体現する活動を目指す。
その気持ちを、表現されたような結果でした。
ありがとうございます。
※景色を眺める時、事業のことも、問題も、何も頭に浮かびません。ただただ、景色の美しさに心を奪われます。





