16日に封切された、「アバター:ウェイ・オブ・ウォター」を観てきた。
前作に較べればストーリーはこじんまりとしているが、映像の美しさが素晴らしく、192分という長い上映時間でも飽きることがなかった。
その記事は、また別途(恐らく、4ヶ月後)。
9月中旬の那須旅行の続き。
メンバーは、きゅーちゃん、ちぃさん、ピエールロゼさん、そして私。
那須ロープウェイの全ての駐車場が満車だったため茶臼岳に登ることは諦め、山を下りて向かったのは、殺生石。
「殺生石と白面金毛九尾の狐伝説」をふむふむと熟読。
殺生石の手前には、硫黄の臭いが漂う大きな石がゴロゴロと連なる賽ノ磧(さいのかわら)。
その左右に板張りの歩道が作られている。
左側の歩道の脇には、千体地蔵。
教伝地獄には、千体地蔵の親玉の大きな地蔵。
お顔がリアルで却って怖い。
賽ノ磧には、幾つかの積まれた石が。
まさに”賽ノ磧で石を積む”の世界だ。
賽ノ磧の一番奥には、殺生石。
2022年3月に二つに割れてしまったのだそうだ。
そこで二つの石は綱で結ばれている。
ここでも「殺生石の由来」を熟読。
そう言えば、12月7日にイノシシ8頭が殺生石の周りで死んでいるのが発見された。
今も殺生石は現役と言うことだ。
殺生石の前で記念撮影。
近くの温泉神社にお参りすることにする。
温泉神社と書いて、”ゆぜんじんじゃ”と読む。
裏の参道なので、道はあまり良くない。
見下ろすと、殺生石賽ノ磧の全貌を観ることが出来る。
手前の草叢の中には、千体地蔵。
5分ほど山道を歩くと、温泉神社に到着。
以下、温泉神社のH.P.より拝借。
「上代より温泉名を冠せし神社は、延喜式神名帳(西暦900年代)に十社を数え、当温泉神社の霊験は国内に名高く,奈良朝時代の貴族の温泉浴のことは正倉院文書によりても明らかである。従って神位次第に高まり,貞観11年(869年)に従四位上を授けられた。後世那須余一(与一)宗隆西海に扇の的を射るに当たり,当温泉神社を祈願し名声を轟かして、那須郡の総領となるや領民こぞって温泉神社を勧請し奉り、貞享3年(1686)6月19日正一位に叙せられた。
現在那須郡内に約八十社の温泉神社を数うるのをみればいかにこの地方の信仰を集めていたかが推察される」。
ここでもふむふむと熟読。
裏参道から本殿に来たので、拝殿後に手水舎と順番が逆になってしまった。
ふくよかなお顔の狛犬。
何故か足元にも石が積まれている。
夏の間、ここの表参道では朝市が開かれ、地元の色々な産品を買うことができる。
那須の別荘に来た時は、何時も早起きして買いに来ていた。
再び殺生石に戻ると、来た時とは違う板張りの道を通る。
この辺りは硫黄の臭いがとても強い。
ここは湯の花の採取場跡なのだそうだ。
駐車場に戻ると、次の目的地に移動する。
友人達と過ごす、楽しい那須旅行は続きます。