こないだ蚊に刺されて
かゆかったので、
薬局でかゆみ止めの軟膏買ったんだけど、
注意事項見てたら、
副作用欄に、
「かゆみ」と書いてあった。
どゆこと?
皆さん、ども。
さて、久々に歴史ものいこか。
今日は、皆も中学で習った、
海外で軍事介入に乗り出して大敗し、
膨大な犠牲を払った苦い経験がある
白村江の戦い。
の話も勿論なんだけど、
それを決断して、
先導した、
中大兄皇子、
そう、後の天智天皇の話。
これも有名な大化の改新を、
藤原鎌足と共に成して、
中央集権国家を目指した言う
大したお方だという認識だよね。
で、
さっきの白村江の戦い。
ちょっとおさらいしよ。
当時の日本は、まだ倭国と呼ばれてた時代。
中国では、久々の漢民族国家、
唐の時代。
朝鮮半島では、
高句麗、新羅、百済の三国が
争ってた。
そして、
高句麗と百済が連合して新羅に侵攻し、
新羅は唐に救援を求める。
唐は、まず百済に出兵し、
その都を落とし、王は降伏して百済は滅亡。
ところが各地に残る百済の遺臣たちが
百済復興に立ち上がり、
倭国に滞在していた百済の王子の送還と、
援軍の派遣を要請してきた。
とまぁ、簡単にいうとこんな感じ。
で、
母帝と息子の中大兄皇子は、
大軍派遣を決定。
皇子は天皇とともに福岡県に出征し、
同地で母天皇が死去した後は、
天皇の座に就かないまま戦争を指導する。
そして、
軍を渡海させるが、翌年、
朝鮮半島西岸の白村江で
唐・新羅の連合軍に大敗した。
これが白村江の戦い。
しかも、出征した軍ほぼ全滅という
惨憺たる結果だった。
ん~、単純に思うよね。
あの聡明な中大兄皇子が、
そんなことも予想できずに
戦争を決めたんだろうかと。
最近の研究で、
恐ろしい事実がわかってきたみたいでね。
直接的な敗因は、
唐軍が国家軍で、訓練されて
統制のとれた軍隊だったのに対して、
倭国軍は豪族軍の寄せ集めで、
地方豪族が配下の農民を無理くり徴発して
連れて行ったことが敗因とされてる。
これはうなずける。
しかも俺たちなんかが習ったのは、
あくまでも百済を救援するといった、
一種の義戦みたいな教わり方された記憶あるし。
でも、
その研究によると、
皇子は、
戦争に負けても構わないから、
それを国内政治に利用したというんだよな。
どういうことかというと、
彼は、
蘇我氏を滅ぼし、
大化改新と呼ばれる政治改革で、
天皇を中心とする中央集権国家の建設に着手してる。
戦争に負ければ、
唐や新羅が倭国に攻めてくると、
危機感を煽り、
国防を固めるため
国内の権力を
天皇に集中せよと主張しやすくなる。
それくらい、まだ天皇家というものが、
脆弱だったんだね。
さらに深読みすると、
中央集権国家の建設をするのに、
邪魔な連中が居る。
地方豪族の面々。
邪魔な豪族を戦争に送り込み、
死なせてしまえばいい。
実は、
こういう考えは中国では
「裁兵」といい、
古来からあった。
征服した国の将兵は反乱を起こしかねないので、
負けてもいい戦いに投入して始末するのだ。
そういえば後年、
元寇において、
元が送り込んだ先兵は、
南宋と高句麗の兵だったわ。
白村江の戦いの後、
中大兄は正式に即位して天智天皇となる。
中央集権化を急ぐ。
白村江の戦いで地方豪族の勢力が
大幅に削減されたことから、
中央権力がかなり、
地方にまで浸透していく。
そうなると、
朝鮮半島に大軍を派兵した真の目的が、
戦争に勝つことよりも、
地方豪族の勢力を弱め、
中央政府の権力基盤を
強化することだったとすれば、
思惑どおりに成功した格好だな。
怖いよな。
まぁ、為政者とはいつもこうなのかもしれん。
しかし、
そんなことも知らずに
無理に連れていかれた連中は
たまらんよなぁ。
いつの世も民衆が苦労するのは
変わらん。
というか苦労ならまだいいが、
先人は命が掛かってる事考えると、
さらに哀れとしかいえない。
まぁ、今日も、
史実と事実は違ってた話でした。
ちょっと湿った話だったのと、
もう明け方の静かな時間でもあるので、
これも久々の一曲贈るね。
フォーエバー・ジェントルメンの、
「ミスティ」
https://www.youtube.com/watch?v=w7yz_GQWPm4
じゃ、またね♪