渋沢栄一のおまけエピソードを。。 | ラブホコンサル関羽のぼやき

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ラブホテル再生プロデューサー関羽が、ラブホ絡みの話題、その日その日に思うことを鈴なりに綴る。

外国人と話す時に

自分までカタコトになる奴、アホ。

 

 

 

 

皆さん、ども。

 

 

 

こないだの渋沢さんの件のあと、

そういえばと思い出した話あるので、

 

ついでに話とこ(^^♪

 

まぁ、波乱万丈の彼の人生については、

先日の通りなんだけど、

 

ちょうど、彼が明治政府の役人になって、

暫くしたころ、

 

「渋沢さんはおりもはんか」

と自宅玄関口で、

堂々とした声で挨拶をしたものがいた。

 

他ならぬ西郷隆盛。

 

時は明治初期、

まだ西郷が征韓論で新政府を飛び出す前、

渋沢も新政府を飛び出す前の時期。  

 

訪ねてきたのが大西郷、

しかも一人での来訪。

 

さすがの渋沢も驚いたろね。

このときの西郷は

押しも押されぬ

「維新の三傑」の一人だから。

 

日本でただ一人の陸軍大将でもあり、

参議の一人でもある。

 

当時世間では

「大(おお)西郷」と呼んでた。

 

ちょうどこの時期はね、

岩倉や大久保といった主要メンバーが

みんな遣欧使節団で出払ってて、

 

西郷は事実上の新政府のトップ。  

 

一方の渋沢も

「大蔵省に切れ者がいる」

という評判こそあったが、

 

まぁ、大西郷に比べれば、

しょせんは末端の小役人に過ぎない。

 

年齢も渋沢は30歳前半で、

まだまだ世間からすれば若造であり、

 

西郷は維新の激動を越えてきた、

45歳の働き盛り。

しかも世間の男たちはみな断髪しているのに、

 

西郷は

依然として髷を結ってるから、

おそらく風格もあったろうね。

 

ま、とにかくだ、

今でいう大臣級が、

大蔵省の一官吏にすぎない渋沢を訪ねるというのは

今日の常識から考えても

異例中の異例であることに間違いない。

 

さて渋沢は大騒ぎもせずに

西郷を客間に通す。

 

「渋沢さん、今日、おいが訪ねてきたのは

頼み事があってのことでごわす」

と西郷は切り出した。  

 

内容を聞いてみると、

それは相馬中村藩で行なわれてる、

二宮尊徳の

「興国安民法」

を存続させてもらえないかという相談であった。

 

相馬藩は徳川の譜代であったが、

ご多分に漏れず、懐具合は厳しい。

 

そこで「財政再建人」として有名な

二宮尊徳の唱える興国安民法を採用し、

少しずつであったが財政の建て直しを行なってきた。

 

だが、この法でもって、

相馬藩だけが特別な会計システムを

採っているのは許されなくなった。

 

そこで相馬の人々から頼み込まれて、

大蔵省に特例として免じてもらえるように

斡旋してくれというので、

 

今日は大蔵卿の井上馨に伝えてもらいたく、

まかり越したと大西郷は、

渋沢に頼み込むのである。

 

それならば、

直接井上に頼めばいいと思うのだが、

すでに西郷は井上馨大蔵卿に

直談判して断られていた。

 

ちょっと逸れるが、

西郷という人は不思議な人だなと思う。

 

本来なら相馬中村藩は一度は幕府方として、

西郷率いる官軍と対峙した

「敵」

である。

 

それなのに相談事を

引き受けて、

こうして自ら井上や渋沢の所に

足を運ぶ西郷の感覚。

 

大人物とはこういうもんかね。

 

それはさておき、

渋沢は、ここぞとばかりに西郷に説教をはじめる。

 

「あのね、西郷さん。二宮尊徳翁のやっていた

『興国安民法』というのは、

どういうことか知ってるかい? 

 

一言で言えば収入以上の支出をしないということだ。

 

なのに、あなた方、お偉いさんたちは、

二言目には

『新政府にはこれが足りない』

『欧米に負けないためにはこれを買わねばならない』と、

カネを使うことばかりを考えてる。

 

ことに陸軍さんはそうだ。

 

でも、今の日本は、いいですか?

おカネはないんだよ。

ないカネを使うわけにはいかんのです。

 

相馬藩の興国安民法を

守りたいという気持ちは分かりますが、

それを言うんだったら、

この新政府にこそ興国安民法を

まず導入してほしいもんだね」と。

 

渋沢の、歯に衣着せない物言いに、

隣室にいた家の者は

さぞや胆を冷やしたであろうね。

 

だが、

これを聞いた西郷は

渋沢の「説教」がようやく終わると顔を上げて、

 

一笑してこう言った。

 

「なるほど、おまんさぁに聞いてみっと

これはもっともな話じゃ。

大いに納得しもした。

じゃっどん、おいは今日、

おまんさぁに頼み事をしに

来たつもりじゃったが、

説教されるとは思いもしもはんかった。

参った、参った」と。

 

これには渋沢も

一緒に笑ってしまう。

 

玄関を出て行く西郷に

「これだから世間が『大西郷』と尊敬もし、

惚れるのだろう」

と内心で思ったと後年語ってる。

 

また、

のちに渋沢は、

「多くの人が、西郷の懐に入ると、

惚れ込んでしまう。

まさにここであったろう」と述懐してる。

 

英雄、英雄を知るってとこだろうね。

 

余談だけど、

西郷隆盛の容貌について、

渋沢は

「大変大きくてぶさいくで、目がギョロギョロして」

という印象を周囲に語っていたそうな。

 

そして渋沢は、

西郷に対する敬愛は

終生変わらなかったそうである。

 

ね、ちょっといい話だったろ?

 

そゆことで、

今日は、前回のオマケ的な話でした。

 

本日はここまで(^^♪

 

またね♪