身を鴻毛の軽きに置かなければならない人がいた事実。。 | ラブホコンサル関羽のぼやき

ラブホコンサル関羽のぼやき

ラブホテル再生プロデューサー関羽が、ラブホ絡みの話題、その日その日に思うことを鈴なりに綴る。

ガンジーの言葉が

最近身に沁みる。

弱いものほど相手を許すことが出来ない。

許すということは、

強さの証である。

ということを。

 

 

 

 

 

皆さん、ども。

 

 

 

 

 

今日は、俺にしては

ちょいとお堅い話をば。

 

もう過ぎた時期ではあるんだが、

毎年の終戦記念前後には、

色んな戦争ドキュメントがある。

 

BSでやってた、

幸運艦 雪風の戦争

を見た。

 

これね、

もちろん雪風の歴史もさることながら、

この艦に乗り込み、

終戦を迎えた、

二人の軍人の目から見た

戦争の悲惨さを伝えるものでもあった。

 

そのお二人の話は

後として、

 

駆逐艦 雪風。

 

まず、艦名がいいね。

毎度思うのだが、

日本の軍船、航空機は

非常にネーミングが良い。

というか美しいとすら思う。

 

ま、それはいいとして、

俺の知ってる雪風は、

最後の沖縄特攻で、

大和を守った軍艦くらいにしか

思ってなかった。

皆もそうだろな。

 

実はこの船、

数々の主だった海戦に参加しながらも、

さしたる損傷もないまま

終戦まで生き残った艦だった。

 

聞けば聞くほど

常識外れとしか思えない

強運を誇るのが、

駆逐艦「雪風」なのだ。

 

しかも、

海戦となると、

その高速を生かした駆逐艦は、

真っ先に突入させられる、

非常に危険な任務が多かった。

 

実は雪風は、

戦時中からその強運ぶりは知られており、

こんなエピソードがあったそうな。

 

ラバウル泊地が空襲を受けた際、

停泊してた日本艦艇のなかで

一番早く機関を動かして

湾外に脱出した駆逐艦「時雨」は、

空襲を予想して

最初から湾外に移動したところ、

 

湾外にすでに移動して

停泊してた

「雪風」を見て驚いたという。

 

余談だが、

「時雨」も

「呉の雪風、佐世保の時雨」

とうたわれる「強運艦」として有名だった。

 

さて、

前述のお二人、

出身は違えど、

同じ雪風に乗り込んでた

少年兵だった。

 

しかし、二人とも、

大体村で1人しか入れなかった、

海軍の予科練出で、

下士官ではあったけどね。

 

とにかく、

肉片がどうこうとか、

上官の話とか、

初めて見た時の

武蔵・大和の話とか

盛りだくさんだったんだが、

 

その中で印象的な話がある。

 

お一人は、

とにかく冒頭にある、

身を鴻毛の軽きに置く。

要するに、自身の命を

鳥の羽より軽いものととらまえ、

お国の為にという

覚悟を持ってられた。

 

もう一人の方は、

出征の日、

朝飯のあと、お母さんに

呼ばれ、

立派な兵士は帰還してこそ

立派なんだと言われる。

 

警察、憲兵の目が光ってる

中でだ。

立派なお母さんだな。

 

なのでその人は、

何が何でも帰るのだという

決意のもと、出征する。

 

決意は違えど、

お二人とも、懸命な戦いを

駆け抜けていく。

 

18歳の子供が。

 

この雪風、

幸運艦、強運艦と呼ばれてるが、

 

ま、確かにそれもあるだろう。

しかしながら、

段々見ていくうちに、

それだけではないなと感じてくる。

 

他艦の乗組員が

砲術指導で雪風を訪れた際、

艦内や部署が清潔であることに驚いたそうな。

 

この乗組員は、

雪風艦内は他艦とどこか違う

雰囲気を感じたと回想してる。

 

また、別の艦の士官が、

応急処置訓練の際、

訓練ではいつも

雪風が群を抜いて早く正確に

応急処置ができていたという。

 

まずは、

やはり日頃の訓練の成果が

好運艦、強運艦を生んだのであって、

単に偶然が

好運艦を生んだのではないんだろな。

 

もう一つは、

何といっても、艦長の、

寺内少佐の操艦だろうな。

 

爆弾魚雷回避の達人と呼ばれ、

就任時には

「雪風は沈まぬ、なぜなら俺が艦長を務めているからだ」

と語った。

 

要するに、

乗員の練度の高さと、

果断な判断をできる艦長。

 

双方がそろえばこそ、

「雪風」は幸運をもたらすことができたのだろうな。

 

そのお陰か、

雪風は一発の魚雷も

受けていない。

(もっとも駆逐艦は魚雷一発で沈むが)

 

2人はたまたま同じ

奇跡の駆逐艦に乗り合わせたけど、

2人が生き延びたのは

「奇跡」ではなく、

庶民が最後の

「意地」を貫いたからでは

なかったかということが

感じられたな。

 

最後に雪風のその後を書いて、

締めようか。

 

雪風は終戦まで無傷で生き延びた。

戦後、

他国からの軍人、民間人を

日本に送り続ける任務になった。

 

そして雪風は、

その任務を完遂したのち、

 

台湾の艦隊の旗艦として、

活躍することになる。

 

感無量。。。

 

戦争が激しさを増す中、

なんのためらいもなく

命を投げ出してた少年たちが

いたことを

 

我々は忘れてはならない。

 

では、今日はここまで。

 

じゃ、またね♪