BRONZE FIST RECORDS・社長の訓辞 -7ページ目

BRONZE FIST RECORDS・社長の訓辞

BRONZE FIST RECORDS since 1995.

タイ北部の街・チェンマイへ移って来て一年半経った2017年1月27日(金)と28日(土)、光栄にもチェンマイだけではなくタイ国のパンク/ハードコアシーンのターニングポイントとなる二日間のイベント双方に、大きく関わる事となった。

 

2017年1月27日(金)・一日目は、タイ王国の首都・バンコクや、中世に栄えた都市で遺跡でも有名なアユタヤからもバンドがやってくる、ニュースクール系ハードコア企画「LANNA BLOOD COLDER #4」。

 


 

この二日間のために、私がドラムを叩くSKINHEADバンド・LANNA GLORYの、これまであまり練習熱心とは言えなかったメンバーもちゃんと遅れずにスタジオに来るようになっていた。

 

ライブ前日の26日夕方、いつもの30バーツの散髪屋へ行って坊主頭になった。

 

 

バンコクの若手PUNK勢がチェンマイ入りしているとの事で合流した。

 

彼らの多くが私も顔なじみの連中、屈託のない笑顔で旧交を温め、恒例のセブンイレブン前での地べた飲み。

 

 

この時期ちょうどバンコクで、28日にチェンマイに来るアメリカの著名なハードコアバンド・MDCがライブだったにも関わらず、わざわざバンコクの若手PUNK勢がチェンマイに来ている事から、チェンマイPUNK代表・Nuyが慕われていることが改めてよく分かる。

 



Nuyはこの前の週末、ライブの宣伝のためだけにファラン(欧米人)旅行者たちが多く集まるタイ北部の秘境・パーイ(チェンマイから車で2.5時間)へ行き、フライヤをたくさん撒いて来たそう。

この日もセブンイレブン前に通りがかったファランのおっさんに「WE ARE PUNK Vol.10」(MDC/The Elected Officials・チェンマイ公演)のフライヤを渡したり、宣伝を怠らない。

 


明けて27日の昼過ぎ、翌28日の「WE ARE PUNK Vol.10」に私が出演依頼し快諾してくれたシンガポールのOi!/STREETPUNKバンド・UNKNOWN SOLDIERが到着するにあたり、チェンマイ空港へ迎えに行った。

 

何人かのメンバーは今回、家族連れでの観光も兼ねていた。

 

奥さま方、すみませんねぇ。

 

私の車に一行全員は乗り切れなかったので二人だけ、手ぶらでソンテオに乗って宿へ行ってもらった。

 

彼らはモスリムなので、チェンマイ中心部でもモスリムフードが充実しているナイトバザールに近いエリアに宿を取ってもらった。

 

この二日間のためにわざわざ東京から来られたカメラマンのNさんも少し後に到着、私がお願いしていたお徳用カツオだしパックと共に持って来てもらった、この5ヶ月後にチェンマイに来てもらう事になる大阪のガールズVocalパンク三人組・PiPiのCD「PENTAGON」を受け取った。

 



もちろん、PiPiのチェンマイでのライブが後に実現する事になろうとは、この時は知る由もない。

 

 

PM5:00過ぎ、PiPi「PENTAGON」を爆音で聴きながら、チェンマイ旧市街の自宅を出発、車で7分もかからず会場のRasta Cafeに到着。

 

 

チェンマイ動物園にはパンダがおり、街のアイコンになっているのです。

 


 

LANNA GLORYは出番が一番目なので、到着後すぐに腹ごしらえに行った。

 

 

ドラムを叩く前に、生エビは相応しいのかどうかは知らない。

 

 

会場へ戻ったら、珍しくスタート予定時刻には多くの人が集まっていた。

 


 

一番手・チェンマイSKINHEADS・LANNA GLORY!オリジナル三曲を含め、全体的にタイトに演奏出来ました。

 

 

この一か月前も同じRasta Cafeでライブを行った事に気付きました。

 

二番手は以前、YouTubeでライブ動画を視て気に入っていたバンコクの80's USハードコア系バンド・NUCLEAR THREAT。

 

 

昼間、空港へ迎えに行ったシンガポールのUNKNOWN SOLDIERの宿がこの会場の近くだったので見に来てくれた。
 


 

同じく翌日の「WE ARE PUNK Vol.10」に出演するバンコクOi!・FOOLISH THE BASTARDSも合流し、記念撮影。

 

続いてはチェンマイのPOWER THUNDER。

 

 

ライブに来ている連中が、会場の向かいの平屋建ての元・店舗?をやたら覗いている。

 

 

最初は「サッカーか、ムエタイの中継でも観ているんやろ」と思っていたが、私も通りがかりに何となく覗いてみると、住んでいると思しき人が椅子から崩れ落ちた形で倒れていた。Rasta Cafeのオーナー氏によると日本人だそう。

 

 

救急車が来たが既に亡くなられていたとの事。

 

 

亡骸に合掌しつつ、自分も故郷を離れた同じ街で独り暮らしなんで複雑な気持ちになった。

 

 

 

四番手がバンコクから来たGROUND ZERO。


 

そして地元・アユタヤでハードコアのイベントも行っているFUTURE BREATH。
 

 

続いて「チェンマイの220」こと、MEANING IN ME。

 

 

若いメンバーたちながら、ストイックさが伝わるサウンドである。
 

 

Brighten Up Recordsというレーベルを運営し、バンコクのニュースクール系ハードコアの中心的であるMONUMENT X(ベトナムやマレーシアへも遠征したことのあるバンド)はこの日、出演予定だったがキャンセルだった模様。

 

バンコクのINSIDE YOUR MIND。

 

 

この日の客は、翌日のMDC・チェンマイ公演と2デイズで楽しみに来た欧米人なども多かった。

 



 

バンコクのFED THE RIPPER(写真なし、動画のみ)。

 

 

トリがこのイベントの主催者・チェンマイ・ニュースクールハードコア代表・THE SUFFERER。

 

 

翌日は昼前にインド最初のPUNKバンド・TRIPWIREが到着するので迎えに行かねばならず、午前からバタバタするので大人しく帰宅。

 


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「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。

1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

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私がタイに移住したのが2012年春。

その後、縁あって2015年6月からタイ国内・第二の都市と言われる、北部のチェンマイに住み始めた頃は、ニュースクール系ハードコアのシーンがあるらしい、と言う情報はうっすらと知っていたのだが、住んでいるチェンマイ旧市街からクルマで30分の場所にあるランプーン工業団地内のブラック日系企業での長時間労働+当時の私生活のストレスなどで、住んでいる街のシーンにすら興味を抱く精神的な余裕がなかった。

このインターネット全盛の時代にも関わらず、自分が住んでいる街のローカルPUNKシーンの情報は何故か入って来なかったので気に留めていなかった。

チェンマイのPUNKシーンの存在を知ったのが偶然、フェイスブックで見かけた2015年10月末のハロウィーンのイベント。
 



「それなりにシーンがあるのかー」と当日、足を運んでみることにしたが、フェイスブックに掲載されていた会場の場所の住所が不適切で、別の場所を行ったり来たりしたあげく、ようやく到着したらその日の最後から2番目の出演バンド・Meaning In Meの演奏が終盤に差し掛かるところだった。
 



続いて、トリはStomper 191…Vocalのみスキンズ、Bassはアメリカ人?そしてドラムはモヒカンの彼ら、レパートリーはCock Sparrer、The Oppressed、A.C.A.B.など全てOi!のカバー。
 




ライブ中「えぇー、Hideki!?」と驚いた様子で私に声を掛けて来る者…2011年1月に私が初めてチェンマイへ(ライブを行うバンコク勢に同行して)来た際に一日目のライブ終了後、宿までバイクの後ろに乗せてくれたTaoであった。


ハロウィーンのライブ終了後、その場でTaoに色んな人を紹介してもらい、イベント後にロイクロ通り近くの彼らの溜まり場へ連れて行ってもらった。

現在、活動中のほとんどのバンドの連中は、前述の5年前に今は無き(現在、チェンマイ有数のショッピングモール・Mayaが建っている場所にあった)GREEN HOUSEで行われたイベントを観に来ていた。
 

2011年、今はなきGREEN HOUSE
2011年、チェンマイ一日目1

 

その前後の時期にモヒカン/スパイキーのSTREETPUNKのバンドがいくつか誕生し2-3年間、シーンは派手な感じで盛り上がっていたそう。




これらの情報は、私ですら知らなかった。
 




今、ニュースクールのバンドをやっている連中のほとんどはその当時、鋲ジャンを着てそれらSTREETPUNKのバンドをやっていたらしい。
 


 

下記は、チェンマイPUNKが特集された「HIP」と言うチェンマイのタウン誌(フリーペーパー)の2014年9月号。


 

一時期、MOHAWK BARと言う、PUNKSが集まる飲み屋も存在していたらしい。



前述の2015年のハロウィーンのライブ以来、チェンマイPUNK/ハードコアの全てのライブに足を運ぶようになり、チェンマイPUNK代表・Nuyの誘いで週末そして平日も夜、音楽バー集合地帯やその近くのセブンイレブン前での集まりに参加するようになった。

飲み2
飲み1

さらに2016年夏から、自分がドラムを叩くSKINHEADバンド・LANNA GLORYの活動を始め、Nuy率いるCHAOS DAYと共に頻繁にライブも出来るようになった。





LANNA GLORYのGuitarのFeemが、ニュースクール系バンド・THE SUFFERERのベースでもあるので、ニュースクール勢とも交流が深まっていた。

そして2017年1月28日に、70年代から活動するアメリカの著名なハードコアバンド・MDCがチェンマイにライブに来る事になった。
 

 

これは、MDCと共にアジアツアーを行う、同郷のハードコアバンド・THE ELECTED OFFICIALSの女性VocalのSophieがかつてチェンマイに住んでおり、2001年から2004年の間に伝説のパンクバー・Chaos Cityを運営したりバンド活動も行うなど、この地に密接に関わっていた事から実現した。

 

 

我がLANNA GLORYもMDC・チェンマイ公演にサポート出演が決まり、さらにそのライブの前日・1月27日もニュースクールハードコア勢のイベントに出演する事になった。

 

この2日間は、チェンマイはもとよりタイ王国のパンク/ハードコアのターニングポイントとなるであろうと強く確信した。

 

MDCがチェンマイへ来る日は大きなイベントにしたかったので、盟友であるインド最初のPUNKバンド・TRIPWIRE、そしてこの数か月前にシンガポールで初めてライブを観て気に入ったOi!/STREETPUNKバンド・UNKNOWN SOLDIERにダメ元で出演依頼をしたら、何と両バンドとも快諾してくれた。
 

 

この両日のライブは、私にとってもタイ移住の結果の一つになるので、力を入れて街中の飲食店やスタジオなどにフライヤを貼って回った。

 

日本人とタイ人のご夫婦による焼きたてパン屋さん・BAAN BAKERY。

 

 

後に私のせいで出禁になるチェンマイ旧市街のお堀・東沿いのスタジオ。

 

 

音楽バー集合地帯のPENTATONIC ROCK BAR。
 

 

同じく音楽バー地帯にあるRoyal India Restaurant。

 



 

英国人経営の洋食屋・RIDER'S CORNER。

 


 

パンク/ハードコア勢・御用達のスタジオ兼楽器店・GREEN MUSIC。

 

 

街中。

 

 

チェンマイPUNK(に限った事ではないが)ライブの度にフライヤを貼って回ると云う文化があまり定着していないので、こういう行為を継続する重要性を分かってもらえたら、と宣伝して回った後はいちいちFacebookに掲載した。
 

 

(つづく)

 


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「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

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1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

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RECORD SHOP ANSWER(名古屋)

 

2014年末にBRONZE FIST RECORDSより、80年代初頭からフランスで活動していたOi!/SKINHEADバンド・R.A.S.(アール・エー・エス)の、未CD化だった当時の音源集「LES ANNEES FOMBS 1982-1984(レス・アンニーズ・フォムス・1982-1984)」をリリースしました。

リリースから時間が経っているので、そのCDに付帯している日本語版ライナーをここに転載します。(多少、加筆/修正はしております)


 

CDリリースのいきさつ

私の元には、海外の見知らぬスキンヘッズからいきなり「今度、日本に旅行に行くので、ライブの情報とかあったら教えて欲しい。出来れば一緒に飲みたい」と言うコンタクトが何年かに一度、ある。


2002年にフランスから来たスキンヘッズ二人組のデヴィッドとジュリアンもそんな感じで連絡をくれたのがきっかけで、彼らの滞在期間中、奈良観光をしたり飲みに行ったり、神戸へライブを観に行ったりした。
 

フレンチSKINSとゆるキャラ。

デヴィッドは当時、P38と言うOi!バンドでベースを弾いており、90年代のOi!を代表するレーベル・Helen Of Oi!からLPをリリースしていた。

P38のアルバム
 

そんなデヴィッドから12年振りにフェイスブックを通じてコンタクトがあった。
 

今は80年代初期のフレンチOi!/SKINHEADシーン・第一世代の中心バンドであったR.A.S.の再結成メンバーとして活動していると言う。
 

現在のRAS
現在のRAS 2

80'sフレンチOi!/SKINHEADのバンドは独特で面白かったので一時期、色々と掘り下げていたのだが、このR.A.S.は再発CDが出ていないなかったので、YouTubeでチェックするにとどまっていた。

 

デヴィッドの伝手で、R.A.S.のマネージャー・P氏よりコンタクトがあった。
 

何とR.A.S.の80年代の主要な音源をBRONZE FIST RECORDSからCD化再発しないか、というオファー。
 

私はレーベル運営の姿勢として昔から、リリースで関わるバンドとは会って話をしてライブを観てから、と言う一貫したポリシーでやってきた事もあり「うーん、まぁいつかフランスへ行く機会があれば、ね」と最初は軽く流した。

 

しかし毎日熱心に連絡してくるP氏の熱意、ちょうど気になっていたバンドの音源をリリースする機会の到来、そして2015年当時、レーベル発足・20周年を迎えるにあたって、あまり今までのやり方に固執し過ぎるのもどうか、と言う思いもあった。
 

先方が提示する条件に対して一切、譲らずに当方の希望条件を主張していたので何度か決裂しかけたが、数週間に渡る交渉の末、リリースに至った。

 

さて当時のフランスのシーンの概略を書いておきます…フランスでの最初のSKINHEADムーヴメントはスカ・リヴァイバルと共に1978-79年に起こった。


フランスのスキンヘッズ最初の世代は皆、オールドパンクス出身者であった。
 

その頃のスキンヘッズ達はコロンブ駅に近いサンシュルピス教会周辺にたむろっていたと言う。
 

そして2年後、フレンチOi!/SKINHEAD第一世代が出現し始めた。
 

R.A.S.を始めSnix、Trotskids、Kommintern Sect、Tolbiac Toads(パリ最初の自称・ナショナリストスキンズ)、Wunderbach…少し後の世代がL'Infanterie Sauvage、Warrior Kids、Camera Silensなど。
 

これらのバンドは独特のメロディー/曲構成が英国のバンドと一線を画しており、なぜか多かれ少なかれ郷愁を感じさせるのが特徴。(余談ですが私、シルビーバルタンやフランスギャルなど古のフレンチ・ポップスも好きです)

以降、マネージャー・P氏によるR.A.S.のバンドヒストリーを訳したものをお読みください。

 


 

マネージャー・P氏によるバンドヒストリー、その1

 

70年代末にフランスの北西部のカーンにフランス最初のスキンヘッズが現れる少し前、私はパリの郊外のコロンブに住んでいた。


1982年末に、ボワ・コロンブとアニエールに近い街で、夏の終わりに結成された新しいバンドが出てきたというニュースが伝わってきた。
 

イギリスのスキンヘッズやハーバーツのような格好のメンバーで構成され、アーミーのような雰囲気のパンクバンド・R.A.S.(“Rien A Signaler”「異状なし」)であった。


短い期間にセカンダリースクールや地方でのいくつかのギグを行った(Jean-LouisとTakiが在籍していたバンド)ヴァイラス77から新たに生まれ変わり、R.A.S.はそのテリトリーを急いで自分たちのものにすることを目指した。
 

単独でのライブを行う前にレコードをリリースするパンクバンドは私には初耳だった。
 

RAS ep

 

パリのインディーズショップ・New Roseで“Fomb”とタイトルがスタンプされた彼らのシングルがニューリリース紹介の壁にきれいにディスプレイされていた。R.A.S.はそのレコードをバッジ付き・10フランで売っていた。

 

 

折り込みカバーと何人かが並んだ写真が載ったそのレコードを飽きるほど聴いた。


サウンドは非常に印象的であった。

 

強調される二つの要素…Special Dutiesに影響された早急な曲、そしてOi!ミュージックに影響を受けた比較的落ち着いた曲…シンプルなサウンド、リズムの正確さ、分かりやすさ、ソロはないが時おり興奮をかき立てられるギターのメロディー、それらがすぐに好きになった。


シンガーであるNicolasは早急で絶え間ない、大きな声であるがクリアな声質で、このスタイルにしては珍しくクリーンな声であった。
 

私はレコードのA面の「デッド・フォー・フランス」と「カラー・オブ・ユア・デス」の両方の歌詞に特に衝撃を受けた。

 

戦争中に自分たちの国を守った名もなき人たちが忘れられていることを憂いている一曲目「デッド・フォー・フランス」は、パンクバンドとしては素晴らしいテーマに分類する事が出来る。

 

二曲目「カラー・オブ・ユア・デス」は、他の部分よりも聴きとりやすい『Blue White Red』のコーラスを繰り返す曲にも関わらず、明確に反ナショナリスト的である。
 

R.A.S.には、ギターのTakiとシンガーのNicolasがいる一方で、マネージャーのBibiがほとんどの歌詞を書いていた。
 

その頃、私はファンジン「Rock Alternative」(“Alternative rock”のずっと前にこの言葉を使っていた)を自分で始めていて、R.A.S.へのインタビューを行うつもりだった。
 

我々は友達やファンジンをやっていた人間と同じくお金がなかったので、唯一のシングルをシェアしたりお互いに貸し合ったりしていた。

 

友達はR.A.S.が1983年2月にジュヌヴィリエの公営住宅団地のど真ん中にあるアニエールのコミュニティーセンターでファーストギグを行う、と教えてくれた。


私はコロンブから会場へ歩き、同じくそのライブに向かっていたWunderbachのメンバー何人かに会った。


誰かが私に、ステージから遠くない場所に立っていたフレッドペリーのポロシャツを着た痩せたスキンヘッズ・Gazを紹介してくれた。

 

彼はパンクバンド・Curseのベースで、自分がR.A.S.のローディーだと名乗った。


彼に、ライブの最中にバンドの写真を撮って良いかどうか尋ねた。


彼は「確認してくるからここで待っていて」と言った。


数分後に彼は戻ってきて、あらゆる事を段取りするのにバンドと一緒に喜んで協力してくれた。


後にGazが打ち明けたところによると、彼は単にバックステージで大量のアルコールを飲んでいただけだった。


若くて素直だった私は、写真を撮るためにある程度の礼儀正しくせねばならないと思っていて、彼は自分自身がさも重要な人物であると見せる一方で、私に親切に微笑みかけた。


ギグにおけるシンガー・Nicolasの存在感は大きかった。まず完璧に見た目はスキンヘッド!フレッドペリーのポロシャツ、ブリーチジーンズ、濃いエンジ色のドクターマーチン!

 

RAS in 80's 1


その時、私にはパンクスの友達はいたが、スキンヘッズの友達はいなかった。


固定された彼のマイク、指に挟まった煙草の火、Nicolasは微動だにしなかったが私はあっけに取られ、トランス状態のようなラリった目に心を奪われた。

 


その目はアルコールとストレスによるものだったと思われるが、Nicolasはとても鋭い目をしていた。


RemiからメンバーチェンジしたベースのAbsentは、後にMaquisardsとなるLes Fleurs du Malの連中と関わりが深かった。



 

…とこの辺りまで訳して、当初は仏語・英語・日本語の三通りの言語を20ページのブックレットに収めねばならないのに字数が多すぎる、と判断し「個人的な事ばかり書き過ぎでは?もっと短くして下さい。20ページで収まりませんよ」と伝えたところ「もっとページ数を増やせないか」と言って来られたので「カルトの支援を受けている日本の商業オイパンクじゃないんだから簡単に製作費、回収出来る訳ないやろ!」とまた数日間、激しいやりとりをせねばならなかったが結局、短縮した英文ヒストリーを送ってくれた。


が、やはり仏語・英語・日本語を全て20ページに収めるのは難しいと判断し、16ページのブックレットに仏語・英語を、そして日本国内での販売分のみ、日本語インナーを付ける事にした。

 

バンド・ヒストリーの日本語訳は、短縮前の長いままのバージョンを訳して記載しております。



 

マネージャー・P氏によるバンドヒストリー、その2

 

次の日もR.A.Sは自治体の企画による、近隣の活発な若いバンドを集めたコンサートでコロンブの屋内競技場で演奏した。


一日中続いたそのコンサートは(当時、その地域で高く評価されていた)ロカビリー、アルジェリアンミュージック、地元のハードロック、そしてパンクの顔ぶれで楽しかった。

 

巨大な体育館の中だったので予想通り音がひどかったが。
 

バンド達は午後の早い時間に来るように言われていて、R.A.S.のメンバーはステージへ上がるまでに多かれ少なかれ酔っ払い、多かれ少なかれ根気よく待った。
 

前日、加入したばかりのベースのTrevorは初めてのステージだった。
 

大抵はヒッピーであった自治体青年部のメンバーは、Nicolasや他のスキンヘッズ達のルックスに驚いていた。
 

ある青年部の女性メンバーは他の者に「彼らは我々に問題をもたらすに違いない」と耳打ちしていた。
 

彼女は、毛皮にストライプのスパンデックスに身を包んだ地元のハードロックバンドのファンだった。
 

R.A.S.は夜のステージだったが、新体制を披露する時間は結局あまりなかった。
 

四人のメンバーに、三人の全く新しいコーラスシンガー…前夜、Remi、ローディーのGazとXavier、二人のスキンヘッズとパンクス。
 

RAS in 80's 2
 

二曲目で、長すぎる待ち時間とおびただしい酒の勢いに押された何人かのパンクスがステージと客席の間の柵を打ち破った。
 

音響システムを止めるように指示が飛び、R.A.S.の二回目のライブは3分で終わった。

 

その噂が彼らの評判を拡める事となった。

 

かつてのRAS
 

少し後、私は自分のファンジンのためメンバーにインタビューを行った。


私たちは彼らの地元の「本部」…変わった服を着た若者たちに対する憐れみでいっぱいの太った女性が経営する、ボワ・コロンブとアニエールの交差点の小さいバーで会う事になった。


私は徐々に彼らと仲良くなり、学校の後にそこに何度も通う事になった。


彼らの一番の楽しみは、ふざけたり大笑いする事だった。


彼らと会った時、グループの中で一番うるさい酔っ払いが、Remiがドイツで発見してパリへ持ち来んだ、質の悪い白ワインとコカ・コーラの「カクテル」で酔っぱらっていた。


最近のパンクシーンでも、勇気があり無知な者は、まだこのカクテルを飲んでいる。


それらの数えきれないエチルアルコールでの盛り上がりの内の1つがRemiとGazによる、残念なことにリリースされる事のなかった奇妙なファンジン「Au Joyeux Neuski」。


ある酔っぱらった夜、彼らはアコースティックギターを手にし、おんぼろテープレコーダーに何曲かのパロディーソングを録音した。


ロシアっぽく訳されたタイトルの「Nicolski Pignolov」では、シンガーのNicolasをユーモラスに標的にしていた。

 

Nicolasは、グルになった2人がロングドライブ中にこれを歌うのを聞くのを嫌がった。

 

R.A.S.のバンド内部では、スキンヘッズはユーモアセンスを持って陽気に楽しんでしたが、こんな雰囲気は数年後には消えて行った。 


私が行ったインタビューが公表された時、ファンジンの宣伝とR.A.S.のレコードをオンエアしてもらう目的で、自主ラジオ放送局を回った。


TakiとBibiは、Radio G (ジェヌヴィリエに拠を置くラジオ放送局)で彼らが主催する番組に私を招待した。

 

その番組ではパンク、Oi!、レゲエをかけていた。


R.A.S.はそれまで一度もパリでプレイしたり住んだりせず、メンバーはパリの中心部をぶらつくこともなかった。


地方だと、北の方のCoderkerqueへ行って地元のハードコアバンド・SS Kidsと共演したライブがあった。





R.A.S.はパリ郊外では主にパリの自治体が主催する様々なジャンルのロックバンドが出るコンテストでライブを行った。


コンテストで勝てる訳ないとちゃんと解っており、最も重要なことは演奏する事だった。

 

1983年3月のあるライブの時、後に一番の仲間になるL'Infanterie Sauvageと仲良くなった。


 

両バンドは同じサウンドの嗜好、ユーモアのセンス、安い酒が好きな事、郊外のカルチャーに属しているフィーリング…パリの人間がやっているクラブのそれから遠く離れたセンスを持ち合わせていた。
 

 

1983年9月にLes Cafardsというバンドの招待でLa CourneuveのFete de l'Humanite (フランス共産党の企画による人気のあるパーティー)でライブを行った。


シングルをリリースしたばかりのサイコビリー三人組・Wampasも出演していた。


 

バンドがちょうどステージに上がるくらいの時、RemiとNicolasが見つからなかった。
 

彼らは近くに屋台を見つけて、特別に重いカクテルを楽しむために去っていたのだった。
 

Nicolasはよりロックンロールなライフスタイルで、向精神性のものが大好きだった。
 

彼はリハーサルにも来ないことが時々あり、曲も書かず、気の向くままに振舞っていた。

 

ステージに遅刻することすらあった。


シンプルなタイトルのアルバム“84”がリリースされた時、シンガーはNicolasからRemiに変わった。

 

 

体型や声がよく似ていたので、ライブの会場ではRemiがアルバムでのシンガーではないと誰も気付かなかった。

 

私は「もしPUNKシンガーに変わったら、たくさんのゴシップの素になってしまう」とTakiが言っていたのを憶えている。


R.A.S.は曲の中で『Oi!』の掛け声を一つも使わずにスキンヘッドのイメージを人々に植え付けた。
 

当時フランスでは、スキンヘッズはメディアでは全く知られていなかった。

 

また、スキンヘッドシーンに関わっている人々以外には、スキンヘッズの中の多くが当時、英国で極右のサポートを行っていることを知らなかった。

 

1983年はまだスキンヘッズになる事にそれほど障害はなかった…後に事態が悪化し始めるまでは。

 

RAS in 80's 6

RAS in 80's 4

RAS in 80's 3

かつてのRAS 2



 

マネージャー・P氏によるバンドヒストリー、その3


パワフルなサウンドのアルバムをリリースしてから、R.A.S.を取り巻く様相が変わり始めた。

 

労働者階級のキッズが共産主義のシンボルであるハンマーと鎌、そしてナチスの逆まんじの両方が描かれた壁の落書きの前で中指を立てているアルバムジャケットの意味をよく聞かれた。


 

パリでは、ギグが企画される場所はスクワットのシーン(※欧州では不法占拠した廃墟・空き家を利用して自分達で電力やガスなどをひいて自治し表現活動などが多く行われている)に限られ、自治しているグループの一員や共産党員に近い者たちがD.I.Y.で創り上げる場所だったのだが、当時としては斬新だったR.A.S.の方向性はそういった場所では賛否両論だった。

アルバム“84”では、派閥について(「セクト危険地帯」)、A級ドラッグ中毒について(「ラスト・チャンス」)そして世代間の対立について(「拒絶」)、さらに「フランスの小さな街」(私が後に発売したオムニバスLPの命名の元となった曲)は、独裁をサポートするように人々を急きたてる中流階級のエリートを糾弾する内容の曲である。
 

「ヨーロッパ症候群」はアメリカそして末期のソ連に対する考えと共に、ヨーロピアンの団結を提唱していた。

 

この曲は、Nicolasによって書かれた唯一の曲だった。

ポーランドの独立自主管理労働組合“連帯”がより人気を獲得していっていたポーランドへの、ソ連の介入を激しく非難した「1981年12月」。

「パンク・アンド・スキン」の歌詞はパンクスにとっては問題だった。

 

前者(パンク)が後者(スキンヘッド)によってパリの路上で頻繁に裸にされていた事についての曲だった。

スキンヘッズにとっては「ガキと落下傘兵」(レバノンの内戦で威張り散らすために戦場へ去った短気な連中…多くのパンクス・スキンヘッズにとっての戦争を想像させる、思いやりのない曲)もまた、問題作だった。

「フランス志願兵」は1941年にナチスの側でロシアの前線へ行くために入隊したフランスの義勇兵について言及している。

 

多くのスキンヘッズがボンバージャケットの袖にフランス三色旗を身に着けていた時、曲は彼らにその矛盾をつきつけた。

 

ライブの最中にナチス式敬礼を行なったり第三帝国へのノスタルジーを感じさせるのに、筋の通ったナショナリズムを主張できる訳がない。

R.A.S.がパリ郊外のFerme d'Emerainvilleでプレイした時、来場した150人の内、パリのスキンヘッズが50人集まり、多くを考えさせられるライブになった。

フランス国旗を掲げているのに何故かナチス式敬礼をするおかしな連中が、バンドの演奏を妨害しようとしても演奏を止めるには至らなかったが、連中の行動は終末の序曲(the beginning of the end)を表すこととなった。

TakiはBruno(フランスで初めて自らナショナリスト・スキンヘッドバンドであることを公言したTolbiac Toadsのシンガー)に「お前の仲間が何をやっているか見ろ」と耳打ちし、同時にRemiは勇敢にも立ち上がって連中に中指を突き立てた。

Brunoはナチス式敬礼する連中に関係してはいないのは明らかだったが、R.A.S.はBrunoを最も頭にくるファシストの達の仲間とみなした。

ステージに上がってきた最も暴力的な者に演奏を妨害された。

 

そのスキンヘッズ達は20分ほど威嚇したりぐずぐずした後、最終的に会場を後にした。

 

最悪の事態は避けられたが、このトラブルはシーンの分裂を表わした。

しかしこの先も、たとえ最終的に事態がより困難になると分かっていても、R.A.S.はスキンヘッドカルチャーの側を選ばなければいけなかった。

1979-1984年のフランスのスキンヘッドシーンのストーリーには「フーリガンスキンヘッズ」「扇動者(ナチス式敬礼で人々を威嚇する者)」「レイシスト」の三つの時代があるが、とうとう「レイシスト」の時代がやってきた。

しばらく後、音楽や喜び・悲しみを分かち合う親友同士であったL'Infanterie SauvageとR.A.S.のライブも、スキンヘッズによって邪魔をされた。

この時は2-3の攻撃が行われ、現場は催涙ガスで充満した。 

Massy-Palaiseauでプレイした1984年春の終わり頃のライブでは、セキュリティーが入り口での検査で爆弾を発見した。

バンド内で緊張が高まって行った。

その夏の間にTakiとJean-Louisの間で一人の少女を巡って口論があり、それがきっかけでバンドは解散した。

非常に危なっかしくなってきたアドベンチャーを終わらせるのに良い口実になった。

しばらく後、RemiとコーラスシンガーのXavierはDroogiesと言うバンドを結成しサイコビリーやガレージに傾倒していった(※著者注:Droogiesはエレキベースだったそう。短命でリリースは何も残さなかった)。

もう一人のコーラスシンガーのGazとTakiは、6月に解散したL'Infanterie SauvageのベースだったArnoと共に、解散前に既にサイドプロジェクトとして2-3ヶ月前から始めていた狂ったおかしなハードコアPUNKバンド・Kromozom 4に集中した。



R.A.S.としてのアドベンチャーは確かに長くはなかった。

ディスコグラフィーもシングルとアルバム、そして尊敬に値するオムニバス“1984 The First Sonic World War”と、私が誇りを持ってプロデュースした“France Profonde”に収録されている「ハレルヤ」と「スキンヘッズの思い出」も含めて多くはない。


R.A.S.は確かにフランスのスキンヘッドシーンが極右へ傾倒するのを止められなかったが、増え続けていた問題を簡潔に体現する事が出来ていた。


翌年、スキンヘッド・ハンター達が出現し始めるまでは「フランス志願兵」の歌詞で言うところの『ナショナリスト、ナチ、SSおよびレイシスト』はシーンの中で最も目立ったポジションを占めていた。


ほぼ同時期だったR.A.S.とL'Infanterie Sauvageの解散と共に、punk rockと並ぶこの当時のskinhead cultureのページはめくられた。


平和な、そしてユーモアと嘲り笑いと共に。

Philippe Roizes
founder of the “Rock Alternative” fanzine and of the “Reseau Alternatif” label, initiator of the “France Profonde” compilation
 

RAS in 80's 5


 

なお上記のバンドヒストリー・日本語訳は、歌詞の日本語訳と共に、CDにも付帯しております。

 

 

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R.A.S.(アール・エー・エス)

LES ANNEES FOMBS 1982-1984(レス・アンニーズ・フォムス・1982-1984)

 


英国とは異なる独自のシーンを形成していた80年代初頭のフランスOi!/SKINHEADシーンにおいて中心的な存在であったバンド・R.A.S.。未CD化だった彼らの主要な音源がこの度、極東の要・BRONZE FIST RECORDSより世界初CD化!1984年リリースの最初で最後のアルバム「84」(12曲入)と1983年リリースのEP「Rien A Signaler」(5曲入)を中心に1983年のデモ音源2曲、1984年4月のラスト・ステージを収録したライブ音源7曲、さらに前身バンド・VIRUS 77の4曲を収録した全32曲を収録!日本国内流通分のみBRONZE FIST RECORDS・高崎氏による歌詞対訳・解説文付き。


<Track list>
1.84 (1984年)
2.LVF (フランス志願兵)
3.Sectarisk (セクト危険地帯)
4.Decembre 80 (1981年12月)
5.Rejets (拒絶)
6.Le Keupon Et Le Neuski (パンク・アンド・スキン) 
7.Derniere Chance (ラスト・チャンス)
8.Syndrome Europeen (ヨーロッパ症候群)
9.France Profonde (フランスの小さな街)
10.Le Gosse Et Le Para (ガキと落下傘兵)
11.L'ecole Des Fombs (ロクでなしの学校)
12.Haaaaannna Et Les Rebbous (ハアーンナと酔っ払い)
13.Memoires D'Un Skin (スキンヘッズの思い出)
14.Alleluia (ハレルヤ)
15.Mort Pour La France (デッド・フォー・フランス)
16.Couleur De Ta Mort (カラー・オブ・ユア・デス)
17.Rien A Signaler (異状なし)
18.Chasse A L'Homme (人間狩り)
19.Votez Pour Moi (私に一票を)
20.Nelly (ネリー) Demo 1983
21.Cochennec (コチェネック) Demo 1983
22.Jeunesse De La Honte (恥さらしの若者) Live
23.84 (1984年) Live
24.Alleluia (ハレルヤ) Live
25.France Profonde (フランスの小さな街) Live
26.Paradisiak (天国のよう) Live
27.Derniere Chance (ラスト・チャンス) Live
28.Rien A Signaler (異状なし) Live
29.Virus 77-Quartier Nord (北地区)
30.Virus 77-Arc-en-ciel (虹)
31.Virus 77-Direction Neant (目指す場所なんてない) 
32.Virus 77-Symphonie En Boundin Majeur (大きなプリンのシンフォニー)

 

 

上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

TIME BOMB(大阪)
MISERY(広島)
BASE(東京)
RECORD SHOP DIG DIG(岡山)
GARAGELAND 70'S RECORD(福岡)
RECORD SHOP ANSWER(名古屋)

2016年4月2日から3日にかけて行われる予定だった、インドネシアのパンク/ハードコアコミュニティーの女性たちのドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!、監督:Hera Mary)の上映が予定されていた、インドネシア中のパンク/ハードコアコミュニティーにいる女性たちのための音楽・アートそしてディスカッションのフェスティバル・Lady Fast 2が警察とイスラム強硬派による弾圧で1日目で中止させられました。

 



この件から時間は経っておりますが日本にあまり伝わっていないと思われるので、インドネシアのパンク/ハードコアシーンと縁の深い人間として、関連サイトを和訳しここ掲載します。

まずアジア地域のパンク/ハードコア全般を取り扱うサイト・UNITE ASIA記事から。
https://uniteasia.org/shit-went-down-at-lady-fast-event-in-yogyakarta-indonesia-last-night/

――――――――――サイトの翻訳ここから――――――――――

Kolektif Betina(今回のイベントを企画したグループ)は彼女らのフェイスブック上で昨夜のインドネシアでのイベント・Lady Fastで何が起こったかを、時系列で報告した。

 

このイベントでは、インドネシアのパンク/ハードコアシーンの女性に関するドキュメンタリー映画の上映が行われる予定だった。 ビデオの予告編は下記の通り。



このドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!)の大まかな概要:

「インドネシアのパンク/ハードコアシーンでの、女性の役割は今も極めて少ない。なぜならば、パンク/ハードコアシーンは男社会だと考えられているからだ。インドネシアのパンク/ハードコアシーンのムーブメントに関わる女性たちは稀であるとされている。パンク/ハードコアシーンにいる女性たちのネガティブな汚名と問題は、広く拡がっている。

このドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』では、パンク/ハードコアシーンにいる女性たちの異なった面が見られる。この映画に登場する女性たちは、ミュージシャン、ジン製作者、写真家である。シーンには他にも多くの女性がいるがこの女性たちはまだアクティブに関わっている数少ない者たちの内の幾人かである。

この映画もまた、コミュニティ内の女性への適切な評判と露出の大切さを力説している。彼女らが産み出した音楽・ジン・写真そして他の仕事のほかにも、継続される相互間のサポートは、女性たち同士のスピリットを持続する秘訣である。

この映画はインドネシアのDIYパンクシーンにいる女性たち、特にジャワ島に住む彼女らのストーリーを語っている。これまで我々はジャワ島全域から、今日でもDIYパンクシーンに関わりのある14人の女性たちにインタビューを行っている。ジェンダーの問題、性差別、性欲そしてアクティビズムなどが全てこの映画の中で話し合われた。これらの女性たちがDIYパンクコミュニティーに貢献していること、そして今日の彼女らの日々の生活にいかに影響しているかが描写されている」

しかしながら今朝、起きたらソーシャルメディアは、大勢のFacebook/twitter/instagramのフィードで、警察どものおかげで上手くいかなかった事に関する書き込みで炎上していた。腹立たしい出来事が起こった事が分かる。

インドネシア語から英語へ翻訳されたKolektif Betinaの投稿をもとに概要を記した:

1. オープニング、そしてワークショップとシェアリングセッションが13:00から19:00まで続いた。
2. 音楽イベントが19:30からスタート。
3. 最後のバンドの演奏がスケジュール通りの順番に10時から始まる。
4. 10時頃になり、何の集団かはっきりしない15人が到着し、このイベントを一度、中止することを要求した。
5. 会場のオーナーとオーガナイザーはLady Fastの企画を説明しようとしたが、この集団から侮辱を受け、脅迫された。
6. その時、警察は既にそこに居た。企画者たちとLady Fastの間での議論が紛糾した時、私服警官による一発の銃声が響き渡った。
7. Lady Fastの代表と会場のオーナーはその集団との対話を試みる事を続けたが受け入れられず、やはり侮辱の言葉を投げかけられた。「風紀を乱した」そしてここが「道徳に反する場所」であると言う罪状になった。その集団は、この出来事に反発する500人もの人たちを脅した。彼らは、実際に暴力をふるおうとするジェスチャーを見せた。
8. Lady Fast委員会はイベントを終わらせることに同意し、設備を片付け始めた。そしてイベントの全ての後援者に整然としたマナーの元、解散するように求めた。
9. この混乱から逃れようとした我々の友達の女性の一人は「はぁ?お前たちは酔っぱらいか?酔っているのか?」と叫ぶ内に、その集団のメンバー達から暴力行為を受けた。他の後援者の女性もまた「うす汚い!」「女に権利などない!」「だらしない汚れ女め!」などの暴言を吐かれた。そしてベールを被っている後援者たちへは「懺悔しろ!懺悔しやがれ!」と喚いた。
10. 私たちが機材をほとんどきれいにし終え家の中にしまい込んだ時、その集団は扉を閉じて施錠した家に無理やり入って来て、許可なく家に入って来て動画を撮影し、写真を撮り、ゴミ箱を引っ掻き回した。
11. 彼らは建物に侵入すると同時に「アッラーフは偉大なり!アッラーフは偉大なり!」と叫んだ。
12. 建物の中には外から閉じ込められた男性3人、女性5人、子供2人の10人がいた。その鍵は、そこには居ず助けを求めに行っていた建物のオーナーが持っていた。
13. 集団は彼らのやり方を押し付けようとし続け、ドアのちょうつがいとノブを破壊した。私たちの友達は中に閉じ込められ、家のオーナーと連絡する手段がなかった。
14. 警察は私たちに、友達が怖がらず安心出来るよう、中から建物のドアをこじ開けさせるように言った。
15. 中にいる私たちの友達は、警察が捜査令状を持っているかどうかを尋ねた。警察は、もし我々がドアを開かなかったら、あの集団はドアを破壊して入ってしまうので、ドアを開けた方が良いと言った。最終的に、中にいる私たちの友達は鍵がなかったので無理やりドアをこじ開けた。集団は「燃やせ!燃やせ!」と叫んでいた。
16. ドアを開けるのに成功した後、警察とあの集団の内の15-20人くらいが家に入り、ビデオを撮影し、顔を撮った。ある友人の女性は、子供が怖がるから写真を撮らないように頼んだが、彼らは「ママ、討論や言い争いしたいの?何がしたい?君を殴る事は簡単だよ」と返した。
17. みんなはその時「安全確保のため」と言う理由を与えられ、警察によって警察署へ連れて行かれていた。そして何のイベントなのかについて質問され、そこで発見されたLGBTロゴが入った本について問われた。これらの本は我々の後援者の個人的な所有物で、イベントとは関係なかった。
18. AM1:33に、LBHジョグジャカルタの友達に付き添っていて、警察によって拘束されていた我々の友達の一部への尋問が終わった。

暴漢とチンピラ集団による言葉と身体両方での侮辱行為に対して無力であるという、そのような恐ろしい状況にいる企画者と、彼ら自身が見つけた後援者が気になった。

警察からかなりの支援を受けている暴漢とチンピラ集団の存在が、より馬鹿げていて恐ろしい環境を作っている。

――――――――――サイトの翻訳ここまで――――――――――


さらに下記、、事件の概要が客観的に分かりやすくまとめられた記事です。
https://www.iq-mag.net/2016/04/islamists-disrupt-indonesia-punk-gig-kolektif-betina-yogyakarta/

――――――――――サイトの翻訳ここから――――――――――

 

イスラム原理主義者たちがインドネシアのフェミニストPUNKギグを妨害した

Kolektif Betinaは、一人の女性が攻撃された後、2度目のLady Fastイベントをキャンセルすることを余儀なくされた。主催者は、相応しくない服を着た共産主義者である、と誹謗中傷された。


インドネシアのフェミニストグループ「Kolektif Betina」(Female Collective)は、2016年4月2日土曜日に行った、ジョグジャカルタ市街での「Lady Fast」コンサートの第二弾をイスラム教のスローガンを叫ぶ『身元不明の集団』の妨害によって強引に中止させられた。

「Lady Fast」企画は、Survive! Garageという場所でライブ、ワークショップ、アートエキシビジョン、マーケット、そしてインドネシアの『パンク/ハードコアシーンは男社会なので、まだ全くの少数派である』女性の関わりについての映画『Ini Scene Kami Juga!』の上映などが行われる予定だった。

しかしながらPM10:00頃、最後のパフォーマーがステージに上がると同時に、男性の集団が「アッラーフは偉大なり!」と叫びながら会場を急襲し「相応しくない服装を着て道徳を堕落させる共産主義者だ」とオーガナイザーを糾弾した、とKolektif Betinaは彼女らのFacebookに書いた。

「私たちの女性の友人達もまた『汚らわしい!』『傷もの女どもめ!』『お前たちは不道徳だ!』というような暴言を吐かれた」

「この混乱から逃れようとした我々の友達の女性の一人はその集団のメンバー達から暴力行為を受けた」Kolektif Betinaは続ける。「彼女は掴まれて大声で『お前は酔っぱらいか?』と言われた。我々の他の友人たちもまた『汚らわしい!』『傷もの女どもめ!』『お前たちは不道徳だ!』というような言葉の暴力で侮辱された」

伝えられるところによると、Kolektif Betinaのメンバーが撤退させられたのと同じ頃に警察官によって威嚇射撃が空に放たれた。

世界で最もイスラム人口の多いインドネシアのパンク・サブカルチャーは世界で最も大きい一つで最も活気がある。しかし特にイスラム信仰が深く、イスラム法の影響力が強いアチェのような地域では、保守的な宗教の強制力を伴った反発は頻繁に見受けられる。

――――――――サイトの翻訳ここまで――――――――


そして下記は、実際にイベントに参加していたインドネシアの女性小説家・Eliza Vitri Handayani氏による記事です。
http://magdalene.co/news-751-before-we-were-attacked-my-experience-at-ladyfast.html

何のためにこのイベントが行われたのか、主旨も丁寧に書かれています。不審な人物が入ってきて騒動が起き、イベントが解散させられたことについても述べられています。

――――――――――サイトの翻訳ここから――――――――――

私たちが攻撃される前:Lady Fastでの私の経験。

(2016年)4月2日土曜日、PM1:00頃、イベントの会場となる、ジョグジャカルタ市街地の郊外にあるBugisan Roadの簡素な建物・Survive!に私は到着した。

Survive!は4月2日と3日、インドネシア中のパンク/ハードコアコミュニティーにいる女性たちのための音楽・アートそしてディスカッションのフェスティバル・Lady Fastのホストだった。

Lady Fastは、そのマニフェストが言う「差別を乗り越える最初のステップとして」自分の意見を自由に話すために女性にとって安全な場所を提供するため、様々なバックグラウンドから女性が集まったKolektif Betinaによって企画された。その夜の10時ごろ、ある集団がフェスティバルを攻撃した。Lady Fastの企画者が発表した記録によれば、その集団はSurvive!のプライベートスペースに押し入り、所有物を破壊した。警察は傍観していた。

私が午後の早い時間に到着した時、黒いTシャツと半ズボンを着て、変わったタトゥーで、ドレッドまたは非対称に剃った頭…パンク/ハードコアコミュニティーでは珍しくもない、数えるほどの人たちだけが集まっていた。麺のような髪の骸骨と壁を埋め尽くす紙のアカエイの群れの壁画が、テラスの壁を覆っていた。ドアの上に「In Survive We Trust」の文字が見られた。

テラスの周囲では幾人かがテーブルを設置していて、ジョグジャカルタやジャカルタその他からの様々なグループによってジンや不用品、ワッペン、バッジ、お菓子やアーティストによる絵画が販売されていた。

それらのジンは、ルール通りでないが責任を伴う子育て、女性のような見た目のために逮捕された経験のある男性、自分のナプキンの作り方、性的虐待・家庭内暴力を経験した女性たちに書かれたストーリーをまとめたものなど、様々な話題にあふれていた。私はそれらのジンを読んで、いくつもの新しい事を学んだ。

会場のガレージは、ピンクの水の中に覆い隠したオルガスムの表情(“Pleasure Seeking”)を展示したDinda Advenaによる写真や、Lidya Aventaによる、女性がかつて男性によって強制的に奪われた力を取り戻すタトゥースケッチ(“Soft Power”)を含むフェミニストのアートワーク展示スペースに一変していた。

会場の所有者は、Survive!はギャラリーで発表するに支障のあるアーティストのための新しい展示スペースとして設立された、と私に語った。Survive!は2009年にJalan Bugisanに設立され、最近ではクラフトマーケットそして77人の関連アーティストの展示会が開かれた。

所有者の彼女は、例えば午後11時には音楽の演奏を止めるコミュニティーの決まりを厳守する、など近隣との良好な関係を継続するために必死に動いていた、と私に語った。オーガナイザー達はたくさんの飲料水、バナナの葉に包まれた食事やクラッカーを提供した。あなたが支払うものを支払って下さい とのことだった。

アジェンダ上の最初のイベントは、コラージュメイキングのワークショップだった。これは建物のリビングで行われた。参加者はフロアに座り、二つの扇風機がブンブンとうなりながら苦労して涼しい風を送っていた。そのワークショップの指導をしたIka Vantianiはアーティストでもあり館長で、我々に古い雑誌・はさみ・糊を与え、私たちの「女性」という言葉の解釈を象徴するコラージュを作るように指示した。私たちはその授業で作品を提出した。



ジャワ、パレンバン、カリマンタンその他海外から参加者が来ていた。あるマレーシアから来た作家は、彼女のコラージュを「血」と呼んだ。なぜなら彼女は女性の人生の全ての段階が血にまつわっている…産まれた事、性的にアクティブになる事、生を与える事そして老齢に入る事…と考えたからである。

他の者は、多くの若い女性が結婚前は自分の父親に、結婚後は自分の夫に自分の全ての人生を捧げるように言われていた事から、自分の作品を「服従」と題した。他の女性は自分の作品を、世界がしばしば女性の発言を軽視し、ささいな単なるゴシップとしてまとめてしまう事を言うために「ゴシップ」と命名した。

その後、Kartika Jahja(ニックネーム・Tika)とShera Rindra Pringgodigdo…レイプサバイバーであり性的暴行の犠牲者に付き添う自主的なソーシャルワーカーである両名によるリードで、性別がベースになった暴力について語る授業が行われた。

彼らは「セックス」と「ジェンダー」の違い…前者は我々の性的な器官を含む生物学上の事実であり、後者は社会における我々の役割と見なされる構造である…と言う事について話し始めた。我々は産まれて以降、男性たちはリーダーとなり一家の稼ぎ手となりタフで強くなる事を、女性たちは従うかもしくはサポートする者となり家事のエキスパートとなり美しく女性らしくなる事を期待される制約をされてきた。女性たちはしばしば自身の身体と見た目を基に評価されている。

Tikaは「ミュージシャンとして、もし私が成功したければ曲を書いて出来る限り最高の楽器演奏をせねばならないと私は知っている。でも女性として自分の顔を可愛いくできるか、痩せられるかの心配もしなければ、作った音源は売れない」と言った。
 
これらの人々はパンク/ハードコアコミュニティーの一部であるという自分のアイデンティティーに誇りを持っている。彼らは自分の子供をこのイベントに連れてくる。
 
SheraとTikaは、大勢を巻き込んだギャング集団のレイプ、人身売買、近親相姦など過去に取り扱ったいくつかの事案を話した。彼らはまた、警察がしばしば、被害者がどんな服を着ていたか、なぜ夜に出歩いていたかを尋問してから非難したり、事件を捜査し立件する代わりに加害者と被害者の間で和解させようと試みたりする事に携わっている、と語った。

Tikaは、かつてある女性は耳を引っかかれ苦しめられたと語った。それをやった男性は「自分の耳を触っている女は、そうされる事を求めていた」と言った。被害は彼女の意に反する事であった。

「それが、私たちが女性達がレイプ被害を受け続ける負担を止めなければならない理由です。私たち全員、性的な目的に利用される肉の袋以上のものとして女性を見る事を共に学ぶべきです。これは、女性が自分の身体を隠す事や家の外での女性の活動を制限する事についてではなく、女性が性的な対象以上であるとすべての人に認識させる事についてなのです」

ほとんどの授業の参加者たちは女性だったが、幾人かの男性もちゃんと参加し多くの質問をしていた。

「プサントレン(※インドネシアにおける寄宿制のイスラム学校)における聖職者による性的虐待のドキュメンタリーを作ろう」一人の男性が提案した。

他の参加者は「もし平等を望むなら、何故『女性』というレッテルを捨てないのか?例えば何故、Komnas Perempuan(※女性に対する暴力国家委員会/National Commission Violence Against Women)があってKomnas Laki-laki(男性に対する暴力国家委員会)がないのか」と言う者もいた。

Sheraは、そのKomnas Perempuanが設立された歴史的な背景…’98年の暴動の際の大量のレイプ事件があった事を話した。そしてTikaは言った「何故、私たちがMan FastでなくLady Fastを開催するのか?理由は毎日がMan Fastだから」。彼女は、女性たちがそれらの事を発表するどころかステージ上で演奏する機会すらめったに与えられない事について話した。

イベント二日目の4月3日のLady Fastで上映されるはずだったドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!、監督:Hera Mary)の中で、インドネシアのパンク/ハードコアコミュニティーの女性たちは表現の場を確保するために、男性たちに胸やおしりを揉まれて楽しまれる単なるシーンのファンとしてではなく、シーンの中で男性たちとの平等を認めさせるためにどうやって戦っていかねばならないかを話している。

夜が更けるにつれて、海外から来たブロンドヘアー・白い肌で典型的なパンク/ハードコアを象徴する格好の訪問客数名などを含め、どんどん人が来ていた。顔と首から汗が落ちた。その一団は、新鮮な空気を求めて会場から出た。

私たちが外部の人に見せている事を不思議に感じながら私は写真を撮った。私たちのタトゥーだらけで、Needle n' Bitch collectiveなどと言う名前の書かれた黒い服装で厳つく見える集団が、こういう外見を見慣れていない人達には恐いかも知れない事に私は気付いた。麻薬や売春?

マニフェストによれば、Needle n' Bitchは全ての性と性的志向の人たちに開かれた、性的な健全性を意識することをサポートする共同体である。「Needle」は縫ったり編んだりする事を表し、「bitch」はメンバーがしばしば、道徳的でなく罪であり恥ずべき事だというレッテル貼られて他の場所では話せなかった自分たちの経験を編んだり縫ったりしてみんなにどのように話すかを表している。

Needle n' Bitchは攻撃者から自分たちを守る事が出来る基本的な自己防衛テクニックのワークショップを指導していた。

「目を突け、これは効くぞ」彼らは言う。「でもしばしば自己防衛は賢明である事を意味する」。彼女らはメダンからジャカルタへヒッチハイクしていた時の事を話した。運転手は明らかに彼女らを人目のつかない場所へ引き込みたいという様子だったので、彼女らは彼から逃げるために本当に早くおしっこしたい、というふりをした。

これらの人たちはパンク/ハードコアコミュニティーの一部である、という彼らのアイデンティティーに誇りを持っていて、
自分たちの子供をイベントに連れて来ていた。そして私たちがすべき事は笑顔で握手を求める事であり、それはほとんどの人たちと会話をし始めるのを容易にする。

攻撃 (The Attack)

PM8:00頃、音楽パフォーマンスが始まった。女性がフロントのバンド・Agonyがその夜の口火を切った。私がその場にいた間、誰もヘッドバンギングやポゴダンスはしていなかった事に驚いた。全ての人が冷静に聞き入って拍手していた。

その時、攻撃が始まった。フェスティバルの企画者たちによれば、その攻撃者たちはアルコールと、参加者たちが着ている服を自分たちの不服の根拠として引き合いに出した。彼らはフェスティバルの参加者たちに対して、自らを名乗らない事を厭わず、そのきわどい名前の後ろにある意味を見い出そうとしなかったと思われる。もし彼らが、私のようにフェスティバルの本当の意味を見出そうとしていたら、そこにいたほとんどの人たちが良心的で、フェスティバルの名前に良い解釈が出来たはずである。

私のLady Fastでの経験は、とてもポジティブであった。私が記事を書いた理由は、多くの人たちが万が一、パンク/ハードコアのイベントを破壊的な活動に関連付けてしまう場合のためであった。

幾人かは飲酒していたがワークショップの間、的外れな質問をし迷惑をかけたり、うろうろしているだけだった。イベントの司会は後者の問題に気付き、全員に呼びかけた。「ゴミを一つ拾って、ゴミ箱に入れましょう」私が見た限り、大きな危険は、小さい子供たちの周りで喫煙している者たちによって起こった。

今もなお最近何度も起こったように偏狭・閉鎖的でディスカッションに反対するグループがイベントを攻撃した。暴力を振るい、迷惑をかけ、私的な所有物を損壊したのが攻撃者であるにも関わらず、そして1999年人権法が「国民」の表現の自由を守るためであるにも関わらず、警察は攻撃者たちの代わりに被害に遭った者たちを拘留したのであった。

スタンバイし、これを起こすのはいつになるのか。

――――――――――――サイトの翻訳ここまで――――――――――――

2010年1月にBRONZE FIST RECORDS企画にて、日本のスキンヘッド2バンド・東京CROPPED MENと大阪のBOOTed COCKSがインドネシアツアーを行った際に、最終日のバンドンでサポート出演してくれた女性Oi!バンド・D'PONIS(ディポニス)が、このイベントで上映予定だった『Ini Scene Kami Juga!』に出演しています。



今回、この事件を日本語訳したかったのはD'PONIS以外にも何人か、友人・知人が映画に登場していて、その上映が理不尽に妨害されたことに憤慨したのがきっかけでした。

 

なおこの後「Lady Fast 2」は、改めて2017年4月に場所をバンドンに変えて問題なく開催されました。

 


 


 

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2016年10月にタイの国王が崩御し、ハロウィン(10月末)に予定されていたPUNKのイベントが中止になったりしておりしばらくチェンマイPUNKはライブがない状態だった。

 

既に、年が明けた2017年1月28日にアメリカからMDC(Millions of Dead Cops)とThe Elected Officialsがアジアツアーの一環でチェンマイに来るイベントが決まっていた。




私も張り切ってその日、シンガポールOi!・UNKNOWN SOLDIERそしてインド最初のPUNKバンド・TRIPWIREに声を掛けて、快く出演の承諾を得ていた。

 

その前日の1月27日には、バンコクやアユタヤからもバンドが来るニュースクール勢のイベントが決まっていて、私がドラムを担当するLANNA GLORYは両日とも出演する事が決まっていた。

 

 

その大きなライブまでチェンマイPUNK勢の活動に丸々ブランクが空くのは良くないと考え、12月に入ってからずっとチェンマイPUNK代表・Nuyに「月末くらいにイベントしようやー」と持ち掛けていた。

 

日にちは12月29日で、と言うことで何バンドかの了承を得ていたのだが、日が迫ってもNuyが動く気配がなかった。

 

どうやら私的な問題を抱えていた模様。

 

仕方ない、が一度やると決めた以上、私はライブをやりたかったので、クリスマスイブあたりからハコの確保と出演バンドへの連絡など完全に一人で動く事にした。
 

取りあえず、時期が時期だけに白黒で簡単なフライヤを作成。
 


 

ちょうどその少し前に、LANNA GLORYのFacebookページに、90年代にHelen Of Oi!やOne By Oneなどからのオムニバスに参加した事で知られるドイツのストリートPUNK「BOVVER 96」の女性Vocal・DEIDREからの書き込みがあった。
 


 

DEIDREが観光でチェンマイに来るとの事だったので、LANNA GLORYで演奏しているカバー曲の内、歌えるものをピックアップしてもらい、Cock Sparrerなど3曲、歌ってもらう事にした。

 


 

場所はLANNA GLORYが4ヶ月前に初めてライブをやった場所でもあるRASTA CAFE

 



ここのオーナーと初めて話したが、ライブについて快諾してくれた。


 

ライブの日まで五日間、と時間がなかったのでフライヤを掲示してくれる飲食店やスタジオなどを鬼のように回って宣伝を行ったが、それ以外の労力は特に要せず、日本で企画ライブを行うよりもはるかに負担が少ない事を改めて認識した。

 

 

ライブ当日・12月29日の昼過ぎ、近所のローカル床屋で久々に頭を丸めた。
 



30バーツ、て書いたあるのに何故か40バーツ要求された。どんなインフレやねん。

 

自宅から車で10分程の場所にあるRASTA CAFEへ、少し早めのPM6:30に着いた。

 

 

ひとつ前のブログに書いた、2016年11月26日・奈良ネバーランドでのイベント「闘争心」の主催者であるトモフミ氏が観光でちょうどチェンマイへ来ていて、ライブを観に来てくれた。

 

 

ビールを売るお姉さんと記念撮影に興じるトモフミ氏。

 

 

ライブの方、トップはチェンマイのニュースクール系ハードコア代表・THE SUFFERER。

 



 

二番手、ガレージ&ハードコアな白人女性二人組・BOBKAT。

 

 

三番手がチェンマイSKINHEADS・LANNA GLORY。



予定通り、BOVVER 96のVocal・DEIDRE氏の飛び入りでCOCK SPARRERの「We're coming back」と「England belongs to me」、BLITZの「New age」の三曲を共に演奏し、盛り上がった。

 

 

トリがニュースクール系ハードコア・MEANING IN ME。ブレた画像しかありませんでした。

 

 

零時前に無事、ライブは終了。

 

 

ライブ終了後はいつものように、零時を過ぎてもこっそり(タイの法律では零時以降、売ってはいけない)アルコールを売っている店でビールや氷を買いこんで、旧市街・ターペー門から北へ少し歩いた場所へ移動してくつろぎました。

 

 

ほどなくして疲れで眠気が襲って来たのでAM1:00過ぎに帰宅し、シャワーも浴びず、着替えるのも忘れてグラヲさんと一緒に寝ました。

 


皆さん、お疲れ様でした。



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Japnese real skinheads compilation

「sons of skinhead Vol.3」 CD

sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。

1. 嵬峨 - 成る
2. 嵬峨 - 揺るぎなき
3. QUESTIONS AND ANSWERS - Boys In Blue
4. QUESTIONS AND ANSWERS - What Am I Gonna Do?
5. QUESTIONS AND ANSWERS - Nobody Cares
6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
9. SHOWDOWN - The Power
10. 郷士 - 花
11. 郷士 - 力ある限り
12. ブルヘッド - 混沌とした世
13. ブルヘッド - 男泣き



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

TIME BOMB(大阪)
MISERY(広島)
BASE(東京)
RECORD SHOP DIG DIG(岡山)
GARAGELAND 70'S RECORD(福岡)
RECORD SHOP ANSWER(名古屋)

 

 

 

 

 

 

チェンマイPUNK代表・Nuyから「ベルリンのDAS FLUFF、と言うポストパンクのバンドがチェンマイに来てライブをやる」と連絡があった。

 

特に予定もなかったので、チェンマイPUNKS飲み会そして一か月後のライブの宣伝も兼ねて観に行く事にした。

 

場所はチェンマイ旧市街から車で20分、ハンドン方面へ南下した場所にあるPAPA ROCK CAFE
 


 

年齢の高い白人男性が集う場所だった。

 



若いタイ人女性パートナーを連れた白人男性が目立った。

前座(ハコバン?)が、まさにリタイヤ組か企業の管理職っぽい白人5名によるバンドだった。
 

 

会場内に、2009年に行われたチェンマイPUNKギグのフライヤが飾られていた。

 

 

よく見ると、BRONZE FIST RECORDSからリリースしたオムニバスCD「JAPAN-THAILAND CONNECTION 2011」にも参加してくれたバンコクOi!のFOOLISH THE BASTARDも出演していた。

 

 

フライヤによると、チェンマイには過去にDINAMAITE、BIG CIRCLE、ALL FUCK UP、ABSOLUTE SHIT、UNKNOWN CONTROL、と言うPUNKバンドが居たようだ。

 

そして壁に飾ってある写真…店のオーナーは、70'S PUNK好きなのかな?

 

 

2017年1月末のチェンマイPUNK 2days・一日目「LANNA BLOOD COLDER」のフライヤを貼ってもらった。

 

 

チェンマイPUNK 2days・二日目「WE ARE PUNK VOL.10」のフライヤは、客に配った。
 

 

トイレへ向かう階段のあたりに居た子。

 

 

ドイツのDAS FLUFFはドラムレスのトリオだった。

 





途中でVocalの女性がステージから降りて来て、フロアを練り歩き始めた。





これを機に、楽しまねば損?と、ほろ酔いの状態になって来たPUNK連中が盛り上がり始めた。

 


 

DAS FLUFFの演奏の終盤、チェンマイPUNKの中心人物・Nuyが勝手にドラムで参加(笑)。

 





ライブ終了後は記念撮影が繰り広げられた。

 


観光も兼ねて来たのであろうDAS FLUFF達には良い思い出になった事だろう。

DAS FLUFFの動画をアップしました。
 




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「sons of skinhead Vol.3」 CD

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6. THE JOiNTED - 男道
7. THE JOiNTED - 打鐘
8. SHOWDOWN - Hope
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10. 郷士 - 花
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奈良の熱い男・トモフミ氏のイベント「闘争心」を観に奈良ネバーランドへ。

 

ネバーランドは何度か場所を移転しているが、過去に三条通りに位置していた2001年秋、奈良のバンドと共同でイベントをさせてもらったりもしたが、今の場所になってからは初めて足を運ぶことになる。

 




とりあえず近鉄奈良駅で下車、ライブに行く前に、以前から気になっていたショップ「Jump The Gun」へ。



英国はブライトンにあるModsショップ「Jump the Gun」の世界初の支店、との事。



とても雰囲気のあるお店でした。



べっぴんな女性店員さんがいる二階のカフェ「Brighton Tea Room」でマサラティーを頂きました。



その後、電車で一駅、離れた大宮駅へ。

会場にたどり着いたら既にスタートしていて焦る。

CRAP HOUSEで出演する苗田氏そして主催者のトモフミ氏に色々とお気遣い頂く。



初めて観る韓国のベテラン・SAMCHUNG!確か最初は韓国初のOi!バンドとしてスタートしたと聞いております。



日本語のMCも交えつつ、真剣さが伝わるステージでした。



そして、この日限りの再結成のCRAP HOUSE。



ラストの曲を動画に撮りました。



会場で、ヒータカ氏、タモツ氏、ゴロ―ちゃん、モーリー氏など奈良パンクスに久しぶりに会うことが出来ました。皆さん、変わらずお元気で楽しいノリで何より。

そして久しぶりに観た、姫路のMEANING OF LIFE。

 

この日の会場で最も危険な雰囲気を醸し出していた人。

 



これまた久しぶりに観た、大阪のEX-C。



どのバンドも良かったのですが上記、画像をアップさせてもらっているSAMCHUNG、CRAP HOUSE、MEANING OF LIFE、EX-Cが特に良かったです。

SAMCHUNGの皆さんと記念撮影。



終電の関係でトリのB-SIDE APPROACHを一曲だけしか聴けず、後ろ髪を引かれつつ帰途に着きました。

そしてこの一か月後、主催者のトモフミ氏と、チェンマイで再会することになるのである。
 

 


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<2016年11月18日>
諸事情あり、マレーシア経由で緊急帰国しました。



 

<2016年11月19日>

タイミング良く、アメリカの80's CROSSOVERハードコアを代表するバンドの一つ・ATTITUDE ADJUSTMENTの大阪公演の日だったので、観に行きました。

 

TECHNOCRACYは、この半年前に観た時より良かったです。
 


 

Yasuumiさんによる乾杯の音頭。

 


 

Yasuumiさん、この日の入場に関する御配慮をありがとうございました。

 

そして久々に観たFRAMTIDも良かったです。

 

 

会場に、インドネシアはジャカルタのハードコアバンド・STRAIGHT ANSWERのAca氏が居ました。

 

まだ頭部の手術から日にちが経っていなかったから、以前より大人し目でした。

 

 

この日のメイン・ATTITUDE ADJUSTMENTは予想以上にストレートにドカドカ疾走するサウンドで、楽しめました。

 

 

会場では世代の近い、色んな皆さんと再会出来たのも楽しかったです。

 

KATSUYAMA IxDxの音源、有難うございました!

 

 

NOWONがライブをやっていた火影へ、エスカルゴ氏の顔を見て挨拶だけでもと思って帰りに寄ったら、そのまま打ち上げに連れて行かれました。

 

打ち上げ後に行ったBAR混沌での、エスカルゴ氏の鋲ジャン姿をアップしておきます。


 

ふらふらのまま、始発で帰りました。

 

混沌での私の焼酎お湯割りのお金、誰が払ってくれたんやろう。シンジ氏?

 

そう言えばこの時に火影の上に佇んでいたら、今日「sons of skinhead Vol.3」をタイムボムで購入した、と見せてくれた方が居た。m(__)m



 

<2016年11月20日>

毎回、帰国の度に楽しみにしている恒例の丸一屋(地下鉄四つ橋線・花園町駅前)での飲み会でした。

 

飲み会前にいつも銭湯へ行きます。タイに住んでいて、日常の唯一の不満は熱い風呂に浸かれない事なので、足が伸ばせる場所で入浴出来る機会は貴重なのです。水風呂と熱い風呂に交互に入ったら、前日からの胃腸の不調が一気にマシになりました。

 

いつも仕切ってくれる苗田氏そして皆さん、熱い話を有難うございます。

 

(この時の写真が見つかりませんでした…)



 

<2016年11月21日>
連日の宴でふらふらのままAM8:00に起床、緊急の所用にて本籍地がある神戸市北区役所・北神出張所へ。

実家の最寄り駅から有馬温泉まで阪急バスが片道・1000円強で出ており、有馬温泉駅から神戸電鉄で岡場駅まで行った。

有馬温泉は日帰りだと590円から入浴できるようなので、次回はのんびり行ってみたいです。

 



<2016年11月22日>
レコード・CDの整理をしていたら発見。しかも帯つき。





<2016年11月23日>
所用にて梅田へ出た。

1985年、高校一年生の時に黒のテレキャスターを購入したナカイ楽器が現存していて嬉しかった。



そのテレキャスターはタイに持って来ています。

いつかステージで弾ける日が来るようにしたいところ。



<2016年11月24日>
女性Vocalのハードコアバンド「経血」のソノシートの通販にて申し込んでいたものが届いていた。

『1980年代型ジャパニーズハードコアパンクリスペクトバンド』の触れ込み通り、独特の世界観が楽しめました。もうすぐ出るアルバムも楽しみです。

諸々お気を遣い頂き、有難うございました。

レターパック裏のにゃんこ!

 


 

一緒にお送り頂いた「JHONETU-X」は、いにしえの東京ロッカーズの空気を醸し出していて、これまた要チェックなバンドが増えました。



<2016年11月25日>
姫路にて、BRONZE FIST RECORDSの今後のさる計画にご協力頂きたく、姫路最長老パンクス・PUBLIC TOYSのコウメイ氏、そして姫路SKINHEADS・NATURAL BORN MASTERS・ベンガル氏ご夫妻と会合を持ちました。
 
姫路ハードコア・有刺鉄線のVocalだったキョウイチ氏が勤務されている創作居酒屋「百太郎」(山陽電鉄・飾磨駅前北隣)にて美味しい料理とお酒を頂きつつ、コウメイ氏のマシンガントークに圧倒されながらも愉快な時を過ごすことが出来ました。
 
有難うございます。

 

終電で無事に帰宅。



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「sons of skinhead Vol.3」 CD
sons of skinhead Vol.3
これまでBRONZE FIST RECORDSより、気鋭のジャパニーズ・スキンヘッドバンドを紹介してきたオムニバスCD「sons of skinhead」(2002年)、「sons of skinhead Vol.2」(2006年)に続き、「sons of skinhead Vol.3」がついに登場! 真のワーキングクラスロッカーの熱い叫びを聴け!

参加バンド:嵬峨(福井)、QUESTIONS AND ANSWERS(東京)、 THE JOiNTED(東京)、SHOWDOWN(愛知)、郷士(岐阜)、ブルヘッド(仙 台)が各2-3曲ずつ参加、合計13曲収録。

完全限定500枚プレスです。



上記CD他、BRONZE FIST RECORDSの作品は、アンダーグラウンド 音楽シーンを支える下記の良心的なお店で入手可能です。

TIME BOMB(大阪)
MISERY(広島)
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RECORD SHOP DIG DIG(岡山)
GARAGELAND 70'S RECORD(福岡)
RECORD SHOP ANSWER(名古屋)

 

 

 

前回に続き再度、イングランド生まれの文化である「Casuals(カジュアルズ)」について簡単に説明しておきます。

 

英国内のみならず世界中にその影響を及ぼしたModやSkinheadなどのスタイルを通過して、1970年代後半から80年代にリバプールで発生したとされるスタイルが「Casuals(カジュアルズ)」。

 

 

サッカー場で暴れ過ぎて入場出来なくなったSkinheadsが、出で立ちを「Casual=普通」にしてまたサッカー場に紛れ込むようになった、と言うのが定説です。

 

日本の分かりやすいサイトとして、このブログを挙げておきます。http://biteanddivide.seesaa.net/article/391122489.html

 


 

さて2016年11月17日、マレーシアのマレー半島最南部の街・ジョホールバル二日目、Arena Yorksdaleに続いて今回の目当てのショップ・Klobbers KlothingへオーナーのLuca氏に連れて行ってもらいました。

 

扉から徹底してこだわった内装。

 



 

オーナー・Luca氏のブランド「Klobbers Klothing」他、Casualsブランドの品ぞろえが豊富。

 


 

この時も懐に余裕がなかったのですが、同じくジョホールバルのLuca氏の友人がやっているTERRACULTと言うブランドの黒ハーフパンツがカッコ良く、どうしても欲しかったので思い切って購入しました。

 

一年経った今も愛用しており、購入しておいて良かったです。

 



 

現在はこの場所から移転しており、住所は下記の通り。

No.20-01, Jalan Padi Emas 1/5, Uda Business Centre, Bandar Baru Uda, 81200 Johor Bahru, Johor

 

Google mapで「Klobbers Klothing」検索すると「The Gerobok」と出て来ますが、同じ場所です。

Instagram : @klobbersklothing

 

 

私が持って行った「sons of skinhead Vol.3」のA2サイズポスターを額に入れて撮影するために、わざわざ時間をかけて額の中身を入れ替えてくれた…うー、すみませんねぇ。




そしてCasualsバンド・NORTH MAN NOSEのCDも手にして撮影。

 

Klobbers KlothingのTシャツ、Luca氏のバンド・ZERO ONE HEROESのTシャツ、ドラムのスティック、リリースされたばかりのオムニバスCDなど、お土産をたくさんもらった。

 

 

ジョホールバル周辺のOi!/SKINHEADバンドなどによる、フットボールに関する曲ばかり集めたオムニバスCD「NGAUMAN SELATAN - from rock to football -」。

 



「NGAUMAN SELATAN - from rock to football -」
1. ZERO ONE HEROES - Hooligan
2. ORKES MARHAEN - Kibarkan Benbern
3. NEVER ENDING THREATS - La Familia
4. EXPLICIT - Hate To Says
5. THE FINAL WHISLE - Merah Biru


 

※裏ジャケットのバンド名表記が 「ONE ZERO HERO」となっていて、痛々しい。
 

なおZERO ONE HEROESの今回の録音では、マレーシアンOi!のベテラン・THE OFFICIALのドラマーが手伝っているそうです。



「せっかくだし、もう一度Arena Yorksdaleへ戻ってもっとちゃんと写真を撮ろう」との事で再度、Arena Yorksdaleへ。

 

Luca氏、私が持参した「sons of skinhead Vol.3」ポスターをここでも時間をかけて丁寧に店内に掲示してくれた。

 



重ね重ね、感謝。


 

ジョホールバルのこのKlobbers Klothingそして、インドネシアのジャカルタとバンドンにも私と縁の深いSKINHEADバンドの友人が数年前からCasualsブランドを立ち上げている事から、私に何か出来る事があるはず、と強く感じた。

 

初めて来たこの街・ジョホールバルとは今後も縁が続きそうである。

 

Luca氏に送ってもらってラーキンバスターミナルへ行くと、既にその日のクアラルンプール行きのバスは満席だったが幸い、クアラルンプール国際空港(KLIA2)までのバスが30分ほど離れたバスターミナルから出ており、ラーキンバスターミナルでチケットを無事に購入、さらにLuca氏にクルマでわざわざ送ってもらった。

 

Thank you very much for your kindness!

 

 

しかしバスの出発まで3時間以上、炎天下で待たねばならなかった。

 

周りにエアコンの効いた店などなし。
 

 

汗だく・ふらふらのまま、食堂でホットチャイ・3杯で粘らせてもらった。

 

店のにゃんこ。

 


 

食堂の人たちと片言の英語同士で世間話しながら快く長居させてもらった。

 

PM5:00過ぎ、無事にバスでKLIA2へ向かった。
 


7時間くらいで無事に到着。

 

クアラルンプール国際空港(KLIA2)にドクターマーチンのショップが出来ていた。

 



この3-4ヶ月後、ここKLIA2で金正男が暗殺されるのであった。


 

(この項、終わり)



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今回の記事に進む前に、イングランド生まれの文化である「Casuals(カジュアルズ)」について少し説明しておきます。

 

英国内のみならず世界中にその影響を及ぼしたModやSkinheadなどのスタイルを通過して、1970年代後半から80年代にリバプールで発生したとされるスタイルが「Casuals(カジュアルズ)」。

 

 

サッカー場で暴れ過ぎて入場出来なくなったSkinheadsが、出で立ちを「Casual=普通」にしてまたサッカー場に紛れ込むようになった、と言うのが定説です。

 

日本の分かりやすいサイトとして、このブログを挙げておきます。http://biteanddivide.seesaa.net/article/391122489.html

 

 

 

さて2016年11月17日、マレーシアのマレー半島最南部の街・ジョホールバル二日目。

 

今回、ジョホールバルに来たのはKlobbers KlothingというCasualsショップに行きたい、それのみが目的だったのだがオーナーのLuca氏と前日に連絡を取り、今日の朝、迎えに来てくれることになっていた。

 

AM11:00、Luca氏到着。朝食に連れて行ってもらった。
 

 

この朝食のパンは、揚げずに焼くのがジョホールバル地域の伝統的スタイルであったが現在、どの店でも揚げるスタイルになっているが、この店では揚げていない、ちゃんと焼いてあるパンだ、との事であった。

 

 

食いしん坊の私のためにマレーシアでもインドネシアでもよくある、紙に包まれた朝食もオーダーしてくれた。

 


 

すみませんねぇ…。

 

 

現在、ジョホールバルでは新しい建物が次々に建設されており、国境をはさんで隣接するシンガポールの人が住居を構え、週末のみジョホールバルで過ごす、という人が増えているそう。

 

 

で、最初に連れて行ってもらったのがLuca氏の友人が経営している「Arena Yorkdale」。

 

 

ビジネスよりも、SKINHEADS&CASUALSの溜まり場的な側面が強いそう。

 

 

地元のサッカーチームの試合の時は、仲間みんなで応援しに行く、というより暴れに行くそうです。

 

2001年ごろには首都・クアラルンプールだけでもOi!/SKINHEADバンドが100バンド居たくらい、マレーシアではかつてOi!/SKINHEADシーンが隆盛を極め、Luca氏とその仲間はまさにその世代の洗礼を受けていて、このYorksdaleが、今の若い世代にこういった文化を継承する場になっている、との事。

 

 

こういった文化に興味のある者にとってはワクワクする場所・Arena Yorksdale、行ってみたい方はFacebookページを通じて連絡してみて下さい。

http://www.facebook.com/arena.yorksdale

 

 

下の画像の、額縁に入っているワッペンの数々は、ジョホールバル近郊の地域それぞれのサポーターチームのワッペンとの事。

 

 

このARENA YORKSDALEは、道に面して理髪店があるビルの奥の、ロックバーのさらに奥にあります。

 


 

ARENA YORKSDALE (Fendi Barbar Shop)
29, Jalan Susur Dewata 1, Taman Larkin Pedana, 80350 Johor Bahru, Johor, Malaysia
※Googleマップで「Fendi Barbershop & The Gang」で検索したら出て来ます。

 

 

 

今回は画像が多いのでその2に続きます。



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