人の死。 | 俺の想い。

人の死。

毎日更新するつもりが、なかなか出来なくて申し訳無いです。

と言うか、見ている人が居るのか?と言った所ですが。

まぁ、そんな事にも挫けず早速書いて行こうと思います。

何回も言いますが、笑いは一切取りません。面白くもありません。だって、俺の想いですから。


ふと想った事ですが、何だか毎日平凡過ぎますね。

いつも想ってる事なんですが、俺は何の為に生きているのだろうとか、俺の存在価値は何だろうかとか、毎日の様に想います。

23年間も生きてると、古臭い事や、用でもない事ばっかり考える様になってしまいますね。

俺が昔、17の時に出会った人の中に重い病気を抱えた人と出会った事があります。

その人は、余命を宣告され、残りの人生後2年と言う人が居ました。

胃ガンでした。彼は、宣告された当初、どうしようも無い気持ち、やるせない気持ちで一杯だったそうです。最初の半年間は、安楽死の事ばかり考えていた様です。

そんな状態で1年半が過ぎた頃、段々と彼は変わっていき、毎日が楽しい。色んな事をしてみたい。そんな風に想う事が出来るようになっていきました。彼が発した言葉に「俺は、産んでくれた家族の為に、命一杯、精一杯、体の持つ限り生きよう。」と言っていました。この言葉を聞いた時、俺は、人間はどうしてこんなにも、もろい物なのだろうかと想いました。

彼の家族は、出来る事なら変わってあげたい。でもそれは無理な事。

どうにも成らない現実を、かなり恨んでいました。病気にさせた神を、死ぬまで恨み続ける。そうも言っていました。それでも彼の前では笑顔で振る舞い、明日は何をしようか。どんな楽しい事が待っているんだろう。そんな希望で溢れていました。その状況を見ていた俺は、涙で一杯になりました。ふと、彼と話した時、彼は、俺は家族に何をしてやれただろうか。何の為に生まれて来たのだろうか。俺は、悲しみを生み出すだけの、荷物なんじゃないか。家族の財産を吸い取るだけ吸い取って死んでいくだけの「物」なんじゃないか?と言っていました。俺は、何も返す言葉が見付からなかったので、一言言いました。お前がそんな状態じゃ、死んでも死にきれねぇだろ。何ができるだろうか。とか考えてる暇があったら、感謝の気持ちを出来る限りの範囲でいいから伝えてみやがれ!そう強めに言いました。すると彼は、こう言っていました。

産まれて来て、無意味だったんでは無く、家族と言う存在に出会う事が出来て本当に良かった。

親が貴方で本当に有り難う。心から有り難う。

涙が止まらなくなりました。家族も、本当に嬉しかった事でしょう。

ただ見ているだけでしたが、教えられる事が多くて、俺も感謝しています。

そして半年が経ちました。彼は、刻一刻と、死に近づいているのが日々分かるのでとても怖い。

いつ逝ってしまうかは解らないけど、明日が来る事への楽しみで一杯だと言っていました。

もしかしたら明日、とても楽しい事があるかもしれない、もしかしたら奇跡が起こって、俺の病気が治るかもしれない。そんな起こり得ない希望で一杯だった様です。

そんな変わらぬ日々が日々続いていき、彼は1ヶ月ほど経ったある日、旅立っていきました。

彼の家族は、常に笑顔でした。

今にも抑えられない感情が溢れ出てきそうなのは見え見えでしたが。

当時俺が17の時に、同級生だった人に起こった事でした。

今でもその時の事はハッキリと覚えています。この日を機会に、俺はかなり変わる事が出来ました。もしこのブログを見ている人が居たら、考えて欲しいと思います。

人の死について。人が死ぬという事について、軽視しすぎていないだろうか。

毎日の様に人が死んでいく現実を目の前にしても尚、人事だと言う様に考えていないだろうか。

軽々しく死ぬ、死ねなどと言っていないだろうか。

貴方の事を育てた家族は貴方の事をとても愛しているはずです。

時には、親孝行してあげましょう。一杯の気持ちを込めて親へ、親孝行してあげましょう。

親孝行は、親が生きている内に。

6年たった今、彼はどうしているだろうか。別の世界で、元気にやっているだろうか。

俺は死んでも、この出来事を忘れる事は無いだろう。有り難う。感謝しています。