まだ最終回を残しているけどね。
オレにとって1984年は節目の年。
その自身上京2年目の春には、キリスト教系の学生寮を飛び出し、アパマンを読んで見つけた物件の池袋の不動産屋へ直談判しに行き、一浪上京組の2人と半ば無理やり埼玉の朝霞台の2LDKマンションでルームシェア生活へ突入。
それに先んじて、雑誌編集部見学を経てからの編集プロダクションでのアルバイトも始めていました。
物事の順番も世間の常識もへったくれもあったもんじゃない。
あの頃よくシャレで言っていたもんです。
オレ、チェッカーズや吉川晃司と同じ頃に上京してきたんだ…ってね。
成人前10代最後の頃のオレは、何ら裏打ちのない自信だけで、世の中すべて当たって砕けろで何とかなるはずだと信じて疑っていなかったようです。
おそらくその心の根っこは車椅子になった今も、あんまり変わってはいないのかも?
大学受験の際には、4校受けるため83年2月に10日間ほど渋谷の東急インに泊まっていたんですが、手持ちのお金があまりないから部屋でコンビニの缶詰とカップスープで食パン齧ったり立ち食いそばでずっと食いつなぎながら、空き時間は延々と周辺を徘徊。
道玄坂、宮益坂、青山、表参道、原宿、代々木はともかく、ホテルに近かった宮下公園の再開発前の構造とあのホームレスのニオイと段ボールハウスの情景は未だに鮮明に覚えています。
もちろん当時からシネフィルのオレは、事前にぴあを熟読して、新中野に近い名画座に生徒手帳見せて高校学割でちゃっかり3本立てを観にも行ってたけどね。
確か千円未満で観れたはず。
地方上映の予定など望めない、ダーククリスタル、バンデッドQ、エクスカリバーというファンタジーな組み合わせ。
他にも、渋谷のまんが書店とか新宿のフリースペースとかいった定番のオタクスポットも回っていたけどさ。
そんな同じ頃の渋谷を舞台にした劇団話のドラマ。
観てたら、オレも世間知らずのバカだったけど、みんなバカだったんだな…って泣きそうになった。
そのバカっぷりが懐かしくもあり、とてつもなく愛しいわ。
さらに翻ってみると、オレも発症前の秋、下北沢の無料テントでコントみたいな芝居やってたんだよな…。
そこで自分の子どもみたいな歳の若いヤツラと舞台に立つのが意外と楽しくて、おそらく倒れなきゃまだそれを続けていたはず。
やっぱりオレは、いくつになっても面白そうなことにはいっちょ咬みする一般常識のないバカでした。
ホント、馬鹿は死ななきゃ治らない…。
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