また、いつもの如くオレの文章があからさまで取り留めがないのは気にするな。もう忙しなく時間や外聞を気にせねばならない身でもなかろうし。
そもそもだ。
最初に聞かせてくれ。
お前は、オレにとっての何者だ?
オレは、お前のことを昔からどういう呼称で呼んでいたかの記憶がほとんどない。
取り立てて手紙を書いた覚えもない。
縦しんば書いていたにしても当時のオレのことだ、きっと気取って君と貴女をその時ごとに使い分けていたことだろう。
それにしてもだ。
その一方で断言できるのは、お前が人前でオレのことを下の名前で呼び捨てにする、生涯ただ一人の女であったことだ。
正確には、祖母を除いてだがね。
そんなお前とは、自分が車椅子の身になって帰郷してから結局一度も会わなかった。
オレの方から会おうというアクションも一切取らなかった。
なぜだと思う?
携帯に電話して、オレが直に会ってくれよと言えば、普段いくら突っ慳貪にしていても、その実、情に脆いお前のこと、ほぼ間違いなく会えただろう。
そして、実際会えば心配も気遣いもしてくれただろうし、下手すりゃ何かとオレの部屋へ世話を焼きに来るようになっていたかもしれない。
でもさ。
そんな時に、ほんの一瞬でも、もしお前の眼の中にオレに対する同情や憐れみの気持ちが見て取れたら、その時オレはきっと本気で絶望する。そう思ったんだ。
ただ、ひたすらそれが怖かったんだよ。
そんなオレのちっぽけな自尊心なんて一旦どっかに封印して顔を見ておくべきだったと、今となっては猛烈に後悔しているけどね。
高校生だったあの頃みたいに、できればお前が来たい時に来れるオレの部屋と状況をまず作ってから「何かあったら、来たい時にいつでも来いよ」って改めて電話でもかけるつもりだったんだよ。
車椅子のくせに相変わらずの上から目線でな。
取り立てて用事がなきゃ、オレはあの頃と変わらず日がな一日薄く割った酒を舐めながら本を読んでいるか音楽を聴いているからと。
あの頃と違うのは、時代が進んだ今は、そこに古い映画を見ている場合もあるかもという状況が増えたぐらいだ…。
実はお前の来るその日を想定してコーヒーメーカーも買い直し、さらには電動のミルまで買ってたんだぜ。
来た日にゃ、多少は飲めるコーヒーを何なら出してやろうと勢い込んでさ。今となっては未開封のそれを改めて試す気力ももうないけどな。
きっかけや言い訳はお茶でも音楽でもいい。
それがどんな形であれ、普通の主婦が異性の古い同級生の部屋へフラッと立ち寄る如何ばかりかの外向けの理由になるならばと思ったわけよ。
お誂え向きにオレは重度身体障害者の身分だ。普通に考えるなら今さらガッツリ不倫などのできる心身の状況にはない。
それにしたって、世間的には何か別建ての理由が念のためにもう少し必要だろ?
そして来たなら、昔みたいに自分の話したいことだけを一方的に話してまた帰ればいい。
付き合っているわけでもなきゃ友達と呼べるほど親しいわけでもない。惚れた腫れたの話をしたこともない。特段の用がなきゃ年単位の放置プレイ。
オレたち、昔からそういう関係じゃん?
そして、オレ自身も死ぬまでそれでいいと思っていた。
何かと変わることの多いこんな時代だからこそ、そういう昔と変わらぬ関係と距離感があってもいいんじゃないかとね。
そんな徒然を思って実際にそれが叶うようにと、オレは帰郷以来ずっと頑張ってきたわけよ。身障者であればこそ、気兼ねされたくなかったから。
なのにさ。
なんで、自分だけ先にさっさと逝っちゃうかなあ?
もし来たなら最初に何の映画を上映しよう?とか悩むのも楽しかった。
やはり返還近づく頃の香港映画か? クリストファー・ドイルの撮るフィルムに滲む鮮やかな返還前の香港の街なみをできるなら一緒に観たかった。
何か泣きそうな顔してバカじゃないの?(呼び捨てだけじゃなく、オレを躊躇なくバカ呼ばわりするのもお前だけ!)って笑われる可能性もかなりあったけどな。
コーヒーが嫌ならスコーンとお茶でもいい。何ならお試しでオレの好むフォートナムメイスンの茶葉缶やジャムとかスプレッド類を取り寄せてもいいからさ。
オレの部屋は気持ちだけシャングリラホテルのラウンジだ。
それを叶えるにしたって、オレはお前にまだ何も話せていなかった。
この街に戻ってくるまでどこで何をしていたのかも何を考えて暮らしていたのかも、自分の口からは何一つ。
お前のことも知らない。いつ結婚していつ子供が産まれたのかもわからない。
興味がないんじゃない。知りたくなかったんだ。
そもそもお前はいつ大人になったんだ?
自分で言うのも何なんだが、オレはいっかな大人になり切れていないよ。
歳の分だけ付いた余計な知識と分別を駆使して誤魔化しては適当に世渡りしているだけだ。この身体になる前からな。それのどこが大人なもんか。相変わらず支離滅裂エキセントリック還暦超えボーイだ!
また、オレに負けず劣らずのわけのわからない無駄話を聞かせてよ。
飾らぬその感情を他の誰に見せれるのかと思うほどダダ漏れさせて、またオレを面食らわせて狼狽させてくれよ。
中学の頃、オレが買ったばかりの中望遠レンズで撮った体育祭の応援のため同級生の詰襟学ラン着たお前の縦アングルのモノクロの横顔ポートレート写真。口さがないヤツは奇跡の1枚と言うけれど、確かによく撮れていた。
まるで当時のお前の姿だけでなく、撮っていたオレの気持ちも時間もその1枚の印画紙に焼き付けられてしまっているみたいだった。
その写真も今はもうオレの手元にはない。
何も残っていないんだ。
その写真も、一度しか見たことのない夏祭りの浴衣姿も、オレの記憶の中に朧げにただ残るだけ。
オレは何を大切にすべきか、いつもわかっていなかった。
終わりの見える今は、それだけがわかっている。
甲州街道沿いの小さな映画館みたいなオレの部屋が、もうじきセッティングできるよ。
全然間に合わなくてごめんな。
それでもよかったら、いつでもおいで。
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