正直に言うと手元の現金が不如意だったのでクレジットカードで払わせていただきましたので、正味な意味での精算は来月にはなりますが、一応これでオヤジの亡くなった後始末に関わる当面必要となっていた一連の支払い関係は一旦終了したことになるのかな? そのやり取りを終えた最後に、受付の皆さんにもオヤジがお世話になりましたと、院長先生ならびに看護師さん一同にくれぐれもよろしくと改めて一礼しました。
役所の手続き関係で言えば、先週、これも郵送で問い合わせのあった固定資産の相続に関して、念のため市役所へ問い合わせと確認をしに本日お昼前後に窓口へ出向けばこちら方面もとりあえず終わりのはず。
いやあ。
近しい親族が死ぬと、遺された者が諸々なるたけ簡素にと努めようが、現実的にはその想いとは裏腹な避けようのない金や手間が何かといろいろかかりますね。
あと思ったのが、オヤジが80歳になる頃に説得して免許を返納させていて本当によかった。かな?
これで自家用車の処分でもあった日にゃ、オレの財布は確実にショートしていました。
おそらく今回が、オレにとって最初で最後の親の看取り案件。不確かな生母の安否を確認するための伝手も調査費用やそもそもの熱意も今のオレにはからっきしないからさ。必然的にそういうことになるでしょう。
その親の看取りを実際に経験して、想いを新たにしたことが一つオレにはあります。
オレが死ぬ時は、誰にも自分の今際の際や死後の面倒や手間をなるべくかけたくないな。
本当に、この想いに尽きます。
葬儀の在り方、法事も含めた祖霊崇拝の継続、墓所の維持管理。否定もしなけりゃ今後も変わらず頼むとオレからお願いもしない。生きているヤツが好きにすればいい。オヤジの骨だけは何とかあの墓に入れてやろうとオレは思うけど、オレ自身の骨は本気でどうでもいい。
引いては、そんな諸々を改めて考えてみると、まあ、己の命への執着、衰えども決して消えてはなくならない食欲、性欲、所有欲といった我欲まみれなオレの日々の暮らし方はいったん置いておいても、オレの今後の余生のテーマは、今回の経験を経て以下の2つからの卒業→脱却→解脱に集約されるのかも?
まずは、自分の最期の看取り、死後の葬祭に関連する「血縁への依存」。
もう一つは「所有し私有することへの執着」。もしくは「人間関係の執着=束縛」。
まあ、この「依存と執着からの卒業」に関しても、事前にオレがいくら脳が溶けるほど考えたって、当然ながら理想と現実のギャップはあるでしょう。
それでも自分のために生きることが、やり方によっては他の人の後の負担にならないようにできるのではないか?
少なくとも今後は、そこを意識しながらあれこれ模索しつつ生きていこうとは考えています。
その手順や方向性については、これからもオレは何か思いつくたびここでも書いていこうと思いますので、一人でできるだけ密やかになるべく波風立てず死んでいくための老後の身の処し方について、もしよろしければ皆さんも一緒に考えてみませんか? わいわいガヤガヤ、ああでもないこうでもないとざっくばらんに相談していきましょう。
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