朝陽の当たる街並み…


昔からオレは日常的に歩いてばかりです。


脳出血で倒れた時に住んでいたのは、住所で言えば新宿1丁目。靖国通り沿いの昔の新宿厚生年金会館のほぼお向かい。地域の古い材木屋さんが大家さんの賃貸マンションの3階。


なんと、この部屋の毎月の家賃は、オレが倒れた4年前の当時も口座振込みや引き落としじゃなかったんだぜ。


毎月、月末前後に2階の管理事務所に現金で持参し、家賃の台帳に領収印をもらうという、かつての長屋スタイル。


そんな、最初の東京オリンピック開催前みたいな昭和システムのいいところは、折々の時候の挨拶も自然にできるし、マンション管理上の連絡事項の伝達もスムーズにいくところ。新しく入居する人や退出する人の情報も適宜わかるしね。オレはさほど面倒とも思わず其処は彼となく気に入っていました。


そんなオレの当時の住まいを中心としたオレの徒歩生活圏は、主要駅でいうと最大で東は飯田橋、西は中野、南は渋谷、北は池袋。


コレは、最大と謳っているところからも、頑張れば行けなくはない距離であって、実際にはほぼ5キロ以上あるから所要時間1時間オーバーなので少し肉体的にもハードで、実際に行くにはかなり気の重い行程になります。


もっと現実的な日常の徒歩生活圏をエリアで言うならば、東は四谷、西は中野坂上、南は原宿・青山、北は高田馬場・早稲田といったところでしょうか?


この範囲内の寺社仏閣、博物館、美術館、古い商店街、町中華、喫茶店の類いは大体オレの頭の中に入っています。結局、簡単に言えばオレの知識は所詮今も新宿区限定なのかもしれません。


また少し昔の話をしますね。


20代前半の頃、オレは返還前の香港に2週間滞在していたことがあります。


当時の勤め先の雑誌で、今で言うところの街歩きB級グルメの取材をしていた関係からです。


そんな取材を当時の香港や台北でもやっていたというのは、世間的には今のブームのかなり先取りをしていたみたいで、とても貴重な経験でしたね。


トレンド的にも、映画ではツイ・ハーク以降の香港ニューウェーブ、食の世界ではヌーベルシノワーズの台頭など、当時の香港は、さまざまな文化が返還前の徒花のような広がりと奥行きを見せ始めており、文化や歴史の素養や見識にも乏しいぽっと出の日本の地方出身者のダサいオレには、感受性が自分のキャパを超えてオーバーフローを起こしそうになるほどに刺激的な体験をさせてくれる都市でした。もう今や、街のそこかしこにあった英国情緒は残ってないのかしら?


その2週間の香港滞在中、取材するために食事すること、ほぼ毎日5回。そのうち3回はフルコースメニュー。さすがに、コースの場合はシメのご飯や麺などの炭水化物は割愛してもらいますけど、前菜、スープ、メイン、デザートだけとしても、そこそこの分量。


その3回のコース取材の間に、朝食のお粥屋とか、軽食の麺スタンドや飲茶の取材、屋台スイーツ、ジューススタンド、かき氷屋を回ります。そんな食べっぱなしな取材の日々を恙無くこなすためには、なるべく効率よく腹を減らさなきゃいけません。美味しく食べなきゃ、せっかくの食べ物に失礼だしね?


必然的に、当時の香港の街を歩く歩く。


さすがに香港島と大陸間はフェリーか地下鉄ですけれど、それ以外は市電も二階建てバスにもあまり乗らず、移動はひたすら歩き詰め。


その結果、取材は無事終わりましたが、帰国してから気づいて我ながら笑ったのは、それほど濃くもないスネ毛も含めたオレの脚の体毛がまるで剃毛したかのように擦り切れて思春期以前のようにツルツルになってしまっていたこと。


皆さんも覚えておきましょう。


ジーンズとかの長いパンツを履いて歩きすぎると、すね毛がなくなります。


それにしても、街の構造や距離感を把握するのに、歩く以上の方法はありません。


ここの角を曲がるとあそこにつながるんだと気づく、あの瞬間が何よりも好き。


地図上の離れたランドマーク同士が体感できる時間と空間を持った距離感で感覚的に結ばれるあの感覚は、ジクソーパズルを組み立てる過程にも似ている。


むしろ、あのピースがハマる感覚を得るためにオレは歩くのかもしれない。それだけ歩くのがオレは好き。同様にジョギングも好き。


頭の中の地図を少しでも大きく広げたいと思うし、より詳しく完成させたいじゃん?


それも今となっては、自分の足ではおそらくもう二度と無理なんだけどさ。


戦後のアメリカが石油メジャーや自動車メーカーの思惑から過度なモータリゼーションとハイウェイ網の発展で、鉄道駅を中心とした地方都市が漏れなくゴーストタウン化して、どこの郊外もショッピング・モールやロードサイドの大規模チェーン店ばかりになって開拓時代の地域特有の文化が希薄化したように、街の機能は公共交通と徒歩を基調としたコンパクトに完結できる生活圏が構築できていないと地域固有の豊かな生活文化の維持も発展も望めません。日本の今も大して変わらないそんなもんでしょ?


早い話が、老若男女が気軽に食べ飲み歩きもデートもできない街には、未来もなければ過去の伝統文化や芸能、祭りも残らない。


もちろん、ファストファッションやファーストフードにもそれなりの味も文化もありますけどね? 


そう思うと同時に、たとえばそれしかない街に育つ子どもたちって、どうなのよ? と思わなくもなくもない。のが、正直なところ。


そんなことを考えていると、できるだけ今の若者には若いうちに自分たちの居場所で食べて飲んで騒いでデートして思いっきり思い出を作ってほしい。そして、その思い出とともにその街を大切に思う気持ちをできれば養ってもらえたらいいなあと、今となっては歩いてデートのできない中途障害者ジジイはリハビリ施設で遠い目をしながら切に思うのですよ。


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