ハッキリ言ってよくわからないのよ。
それは、さらに簡単に言うと、太宰治と三島由紀夫の作品に触れても、何らピンと来なかったからことに由来する部分が自分の中では大きいのではないのかと自己分析はしているのですがね。
かと言って川端康成もよくわからないしさ。
そこから、もしかしたら、いわゆる戦後の文壇のメインストリームとされる一連のものに対して没入は愚か、些かの感情移入もこれまでできなかった自分には、本来の小説読みと見なすには根本的かつ何らかの致命的な欠陥があるのではないかと密かに恐れているのです。
基本的にオレは、人も小説もマジメなヤツが苦手。
実は、三島さんも太宰さんも人としては嫌いではないのですよ。
でも、作品がね…。
もう少しどこか壊れてないとオレの身体が受けつけないみたい。
オレはこの季節、頭の中では常に吉井くんが歌う「悲しきASIAN BOY」がヘビロテされてるしね。
まったく不敬、不遜の極み。背徳とか耽美とかいう単語が大好物なもので。
そして、叶うことならば各種の現代カルチャーに対して「もし三島さんが存命なら、その印象なり感想なりをぜひとも尋ねてみたい」ことは個人的にいっぱいあるのですが、オレが思うそのいくつかは、三島さんが死なないと生まれなかったものもそれなりに含まれているとも思われるので、実は、それは端から成立しない設問なんですよね…。
幸運なことに、文壇とは関係ないところで三島さんと親交のあった知人の逸話を直に新宿で知れたのも、おそらくオレたちが最後の世代かと思います。
バイトでPXに潜り込んで軍属と仲よくなって洋モク仕込んで高校や大学で売りさばきコンバーチブルのアメ車を手に入れた話から、それを聞きつけて羨ましがる三島さんに頼まれてオリジナルの米軍用の金属認識票を作ってあげた話から、それこそ振った振られた話までさ。電波や活字を通さない、あの時代の作家のリアルな人となりなんて、もう知りうる人も少ないしね。
みんな魅力的なんだよな。左右の立ち位置問わずさ。やることなすこと、言うことも無茶苦茶だし。オレは、そういう内なる矛盾を内包したまま烈しく生きた人が好き。作品は、別としてね…。
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