鏡開きのぜんざいをご相伴


年寄りだらけのデイケア施設に通い始めて、はや足かけ3年目。


スタッフとは打ち解けてきた感はありつつも、他の利用者と会話を交わすことはほぼ皆無。たがいに同じ曜日の利用者だと認識できている幾人かとその日の初見に会釈する程度。


たとえオレのように要介護認定を受けるほどの身体的障害がなくても、ここに来ている段階で多かれ少なかれ認知症前段階のフレイルの予備軍なわけで、施設の方でも積極的に利用者同士の交流は、禁止はしていなくても推奨はしていない。


実際、オレから見ても他者と一般的な会話が成立しそうな人の数もごくごく少ない。


年寄りの話ってのは結局「自分の話したいことを一方的に相手にぶつけてる」だけであって、正味なところ正しく言葉のキャッチボールをしようとしている人などほとんどいない。


必然、介助するスタッフの方も「そういう高齢者に対応するためのベストなメソッド」に沿って利用者に対峙することが、仕事に対する姿勢の王道となってしまう。


オレは今そのことに不満を述べているわけではない。


日常的な仕事ってのは、毎度毎度、眼の前の案件に対してすべて真剣に向き合ってばかりもいられず、なるべく案件ごとパターン分析の上、極力ルーチン作業化していかないと、個々の神経も体力も疲弊するから、そのようなメソッド化自体は致し方のないものです。


それでもね。


全員ではなく、しかも極稀れにではあるんだけど、オレの投げた言葉のボールが、投げ返されてこない以前に、壁に当たるでもなく、突如出現した亜空間ブラックホールにでも吸われて飲み込まれたように空中で消失してしまうことがあるのよ。


発症前のオレなら、さながら相手の頭を逆手でノックするよう小突くマネをしながら80年代のゼメキス映画みたいに「エニバディ・ホーム?」ってやっちゃうかもしんないシチュエーション。


そこで遮二無二に怒り狂う演技で返してくれれば、こちらもニヤリと片頬で笑ってみせるんだけど、今の現役世代にはそれは望むべくもない。


そもそも上京前のガキの頃からオレは周囲から浮いてたよ。


それこそ「ちょっと何言ってるかわからない」と、しょっちゅうリアルで言われてたよ。


拗ねてスカして、マジで世の中全般に怒り狂ってた。


結局は、馬鹿に埋没してるか、ボケた年寄りに埋没してるかだけ、根っこは今と昔の時勢の違いだけで、いつもオレはその他大勢の中の1つのピースとして十把一絡げに世間からは同一視されてんのね?


自分だけを特別視してほしいんじゃないんだ。


オレの問いかけを精査するなり、せめて他の人の言葉の中身と比較して受けとめていただけないものか?


なんで、こんなこと書いてるかっつーと、昨夜から、書いた小説が好きだからこそ今まで避けてきた作家、生島治郎の晩年の顛末にネットで触れたから。


ちょっと、ぶっちゃけ情緒不安定になっちゃった。


なんか、うまく生きるのも女に惚れ抜くのも、その上でうまく死ぬのも、実際は難しいな…。


https://www.tsukui-staff.net/kaigo-garden/howto/talk-point11/