以前、「鬱のことを誰にも話していない」と書きました。
そのことについて書こうと思います。
発病は高校の時でした。
当時、何も知らなかった私は、仲のいい友達(4,5人程)に通院や服薬のことを打ち明けました。
本当に何も…分かっていませんでした。
友達たちは、私にどう接すればいいのか分からなくなったみたいで、接するときは腫れ物に触れるかのような態度に変わりました。
する側はあまり自覚がなくても、されてみると酷く寂しい感じがします。
目立つような、わざとらしいものではなかったのですが、表情や態度が“なんとなく”違って感じられたのを覚えています。
仲のよかった友達たちだったけれど、それからは疎遠になっていきました。
お互いが気を使いすぎた結果かなーと思っています。
高校でそんなことがあったので、大学では隠し通すことに決めました。
幸い、私の周りには同じ大学に進む人が居なかったので事は簡単に運びました。
これが…隠し通すことが良いことなのかは分かりません。
でも私はこの判断をし、実行しました。
これが私のやり方なのだと思っています。
鬱になって、失くしたものが他にもたくさんあります。
先に書いた、仲のよかった友達たち。
友達じゃあなくなったワケではないけれど、もうあの頃の私達には戻れません。
友達からの信頼。
鬱々していて身体が言うことを聞かなくなって、約束の時間に遅刻したり、ドタキャンしたりが増えました。
傷のない綺麗な腕、足。
これはもう、どうしても戻ってきません。
でも、だからって失くしたものばかりじゃないと私は思いたいのです。
病気になったから、今まで考えなかったことを考えました。
病気にならなかったら考えようとすることさえ、なかったかもしれません。
自分が病気になったから、その病気についても調べました。
知識だけでなく、自分がそうであったので疾患者の気持ちも、病気になってない人よりは分かるようになりました。
そして…今、彼の隣に居れること。
私にとってはこれが一番大きいのかもしれませんねw
彼の気持ちを全部分かってあげることなんて、そんなの誰にも出来ないけれど、でも少なくとも病気の部分に関しては理解しようとしているつもりです。
病気に“一緒に”立ち向かうからこそ心強い…ということもありますしね。
お互いが鬱々しちゃってたらどうしようもないのですが;;
それでも一人で闘うのとは全然違う。
彼が私の勇気であるように、私も彼の勇気になりたいです。
そして病気の私を見つめて行きたい。
病気の私を認めて行きたいです。
自分が自分を見捨ててしまったら、もうおしまいだから。
自分だけは、自分を見捨てないように…。
病気の要素を持っててもいいじゃない。
それを乗り越えたんだよ。偉かったね。頑張ったね。
と言えるような私になりたいです。