葛城事件 | キ〇ガイの記録

キ〇ガイの記録

精神異常者のたわごと

実際に起きた事件をモデルに作られたらしい。その加害者の家族、主に父親にスポットを当てている。

 

それなりに良い持ち家に住む一家、父(清)、母(伸子)、長男(保)、次男(稔)。

 

次男だけが、最初から様子がおかしい。アルバイトを転々とした結果、半引きこもり状態。

稔役の若葉竜也が実際はどんな人なのか知らないし、彼の他の役を見た覚えが無いため、なんとも言えないんだけど、コンプレックスこじらせちゃった演技がすごく上手かった。

 

最初はまともに見えていた長男、明るくて可愛い奥さんだった母親も、だんだんおかしくなっていく。

奥さん役の果歩さん、普通の明るさと、壊れちゃった感じの明るさを演じ分けててすごい。

 

何がきっかけだったのか、よく分からなかったけど、伸子が清に訴えた内容で明らかになった気がした。

 

「私、あなたのこと大嫌い。最初から嫌いだった・・・何でここまで来ちゃったんだろ・・・?」

 

最初から壊れ始めていた。それがここに来て、取り繕う事もできないくらいに壊れてしまったという事なのかもしれない。

 

その原因が、「家族を必死に守ってきた」つもりの父親(清)であった事が、アパートでの彼の登場シーンで分かる。

 

稔と二人で暮らし始めた伸子を、保が見つけて尋ねて来る。そこで三人は好きな食べ物の話で和やかに盛り上がるのだが、清の登場でその空気は一気に壊れた。

 

そう言えばこの映画、出てくる食べ物が皆、コンビニ弁当ばかり。コンビニ弁当が悪いというわけじゃないが、登場の仕方がすごく適当というか、登場人物の食への興味の無さを表している気がした。

ところが、上記のアパートでのシーンのみ、食べ物への関心が描かれているのも印象的。

 

考え過ぎかもしれないけど、現代社会が一つの家族に縮小されたような気がした。

清という父親が、劣等感や寂しさ故に、必要以上に世間に振り回され、張らなくても良い見栄を張り、家族を蹂躙し、守っているつもりが実は壊していたのは哀しい話。

 

結果、長男はリストラされた事を誰にも打ち明けられず、自分で自分を追い詰め、自殺。

母親は精神に異常を来たしてしまった。次男は通り魔殺人で憂さを晴らす。

 

ありのままの自分を受け入れる事ができず、家族のありのままの姿も受け入れる事ができなかった。

必要以上に「世間様」に振り回された成れの果て。

 

監督はこの映画について、希望の話だと言っていた。おそらく、稔と獄中結婚する「私は人間に絶望したくない」という、女性の発言は監督自身のものなのかもしれない。

 

実際、彼女の熱心な働きかけにより少し希望が見えていた。

終盤、清と稔は彼女に飾らない本音を訴え始める。彼女の言うように、もう少し時間があれば、何かが変わったはず。

 

最後一人残った家、息子達と正反対に成長したミカンの木で、清は首を吊る。

でも話はそこで終わらない。自殺は失敗し、清は再び食べかけの昼食を食べ始めた。

食べる事は、生きる意志を表すように思う。死ぬのではなく、生きて背負い続けるという事なのかもしれない。