よく述べられるように、この句の主題は“春愁”や“青年の孤独”といったものだろうか。
その解釈は、上五「春ひとり」に句の重心があると見てのものだろう。
しかし、中下の破調、「槍」の反復、「投げ」「歩み」「寄る」という動詞の多用といった、手の込んだレトリックが示すように、槍投げの描写そのものに作者の強い関心があるのは明らかだ。
なかでも中下の破調、「槍投げて」「槍に歩み寄る」という5・8のリズムは、魔術的とさえ言いたくなる。
「槍投げて」の「て」による間と、「歩み寄る」という複合動詞によるスピード感とのために、文字数の多い「槍に歩み寄る」よりも「槍投げて」の方がはるかにゆったりと感じられる。
その結果、投げられた槍が空中で放物線を描く様子、その煌めき、それを目で追う青年の瞳や表情の輝き、さらには青年の頭上に果てしなく広がる春の青空まで連想させるのだ。
この効果は、複数の人物ではなく、「ひとり」にフォーカスしたからこそ生まれたものだが、そういう修辞的役割以上に「ひとり」に意味を持たせるのは、“一人”でも“独り”でもなく「ひとり」と平仮名表記した作者の意図にそぐわないと思われる。
もうひとつ指摘したいのは音韻だ。
「槍」の反復は「ひとり」と響き合って“り”の音を強調し、句頭の「春」と句末の「寄る」とは“る”を際立たせ、一句全体の主調音をラ行でまとめている。
このラ行音には光があり、春の温かくのどかな陽射しを暗示する。
とすればこの句の主題は、“春愁”というよりむしろ、“春光”と言えるのではないだろうか。