第四句集『忘音』所収。
『忘音』には1965年晩夏から1968年晩春まで(龍太45歳から48歳まで)の作品が収められている。
1965年(45歳)作。
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前書「札幌(七句)」の4句目。
龍太が札幌を訪れたのはこの年6月。
北海道といえども「花」はさすがに桜のことではないだろう。
2句前に「満月に花アカシアの薄みどり」があるので、あるいは本句もアカシアのことかもしれないが、「花」の種類を特定することに意味はあるまい。
というのは「花」同様に、何の「稚魚」か、何の「水」かも省略されているからだ。
この極端な省略による句の抽象性は、読者に想像の余地を残すためではなく、そもそもはじめから「札幌」の風物を具体的に描く意図がなかったことを示唆している。
「札幌」らしさをかろうじて表しているのは、「夏寒き」だけだ。
すなわち本句の主題は、旅先の風景描写ではなく、作者の内面、旅情そのものの表現にあると思われる。
それゆえあえて嘱目の景物を抽象化したに違いない。
作者の旅情を直接的に象徴しているのは「水」だろう。
「水」に「花」の影、「稚魚」の影が揺曳するように、札幌の風景や人々が作者の旅情を過り、刺激し、深めたわけだ。
「冴えて」という措辞の効果は、「花」のみならず「稚魚」にも「水」にも及び、延いては作者の旅情の「冴え」をも読者に想像させる。

ちなみに年譜によるとこの札幌行は、2年前に逝去した当地の俳人伊東凍魚の遺句集刊行記念俳句大会が目的だった。
それを背景に読むならば、故人の俳号の一字「魚」をさりげなく潜ませた、追悼句として読むこともできるようだ。