第三句集『麓の人』所収。
『麓の人』には1959年春から1965年晩夏まで(龍太39歳から45歳まで)の作品が収められている。
1963年(43歳)作。
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前書「長島愛生園(十句)」の6句目。
さらに本句には「 須並一衛妻重態脱すと聞けば」の前書がある。
長島愛生園についてはこちら
この年3月に龍太はこの地を訪れている。
須並一衛は雲母の俳人で、夫妻ともに愛生園で病を養っていた。
句中「入」の字が、“わが瞳に入る”と「入陽(いりひ)」との上下にかかる、和歌的なレトリックを用いている。
“わが瞳(め)に入るものはことごとく、夕陽に照らされた島の桜”が表面上の句意。
「入陽の島桜」は、報せを聞いてひとまず安堵した作者の心情を表すとともに、愛生園で生きざるをえないすべての病者たち、及びその人生のメタファでもあるだろう。
上五「ことごとく」がそれを暗示する。
ただし、一句の要はそこではない。
中七に無造作に放り込まれたような「わが瞳」こそが要だ。
この「わが瞳」という主体の強調は、作者と病者たち、言い換えると見る者と見られる者、その主客を峻別し、また、峻別していることを明示している。
それが意味するのは、一つには病者たち、延いてはハンセン病そのものから決して目をそむけまいという、作者の強い意思表示だろう。
同時に、病者たちの境涯をどれだけ思いやり、どれだけ同情しようとも、所詮健常者である自分に彼らの苦しみや悲しみの深さを完全に理解することは到底できまいという、表現者としての謙虚さの逆接的表現でもあると思われる。
前書に示された作品の背景や、「入陽」「島」「桜」といったリリカルな道具立てにもかかわらず、本句が感傷に堕していないのは、そういったニュアンスを孕む「わが瞳」という措辞のために違いない。