第五句集『春の道』所収。
『春の道』には1968年夏から1970年まで(龍太48歳から50歳まで)の作品が収められている。
1969年(49歳)作。
季語「冬」についてはこちら。
この年2月、龍太は千葉館山を訪れているので、館山港での嘱目かもしれない。
「目の前に」なので港に「巨船」が停泊しているのは明かだが、そこをたまたま「風車(ふうしゃ)売り」が通りかかった、ということではあるまい。
おそらく港に屋台を据えて商売しているのだろう。
“風車売”ではなく「風車売り」と仮名を送ったのは、「風車」を売るという行為、延いては売っている人物そのものに作者の関心の焦点があることを明確にするためだと思われる。
言い換えると、“風車売”だと客観的な写生句になるが、原句には「風車売り」に心を寄せる作者の主観が表れている。
港で商売しているとすれば、その「風車売り」の客は「巨船」の乗降客、しかも小さな子供のいる家族連れ以外あるまい。
すなわちこの「巨船」は客船であるのがわかる。
句中には種々の対照が秘められている。
巨大な船と小さな屋台、海と陸、「真冬」の烈しく冷たい海風が吹いても泰然と動かぬ「巨船」と目まぐるしく回る「風車」、多くの乗降客と一人の「風車売り」。
貧富という観念もこれらの対照に連なるだろう。
「真冬」に「風車」を買う人は稀に違いないからだ。
“真夏”であれば激しい陽射しのうちにすべてが溶け込んで、「風車売り」の存在も目立たなかったかもしれない。
「真冬」だからこそ一連の対照が際立つ。
それは虚飾のない光景であり、「真冬」の厳しさそのものであり、“(この世の)真実”といった言葉も連想される。
「風車」が子供の玩具で、鮮やかな色合いであるだけに、いっそう言外に滲む一種のペシミズムが強調される印象だ。
ちなみに、個人的には港で屋台を見た経験はないが、あるいは昔はよく見られた光景だったのかも知れない。