季語は「芽ぐむ」。歳時記では三春。実感は初春か。
この句も初春で、木の芽を目にする前と目にした後との、港町に対する感じ方の変化を詠んだものだろう。
まだ深い冬の底に沈んでいると思っていた港町が、木の芽という確かな春の訪れを目にした途端、急に生き生きと活気づいて見えてきたわけだ。
このような捉え方をされる港町は旅先ではなく、生活の場であるに違いない。
「うしろの」が巧み。
「むかうの」なら平板な写生。
「うしろの」は、春はまず草木に訪れたあと人界に、といったニュアンスを含み、また、自然と人との近接性をも暗示している。