季語は「桔梗」で初秋。
「烈日」は残暑の厳しい日射し。
それ自体は決して「美し」いものではない。
その光景の中に桔梗が置かれてはじめて「美し」くなったわけだ。
言いかえると、まだ真夏の日射しと感じていたが、桔梗を目にして初秋の日射しであることに気づき、その光が急に澄んで見えた。
ゆえに「美し」ということ。
この作品はもう一つ仕掛けがあって、それは「美しかりし」という過去形。
ここに意味上の切れがある。
すなわち、上述したような光景・感覚を、眼前の桔梗を契機に思い出していることになる。
思い出の中なればこそ、「烈日」はますます烈しく、ますます美しい。
その美しさは烈日そのものの美しさというより、老年になって顧みた過去の美しさであり、おそらくは青春の美しさだ。
ゆえに、この「美し」は即物的な意味に止まらない。
憧憬、喪失感、諦念、あるいは悔恨、そういった様々な感情を含んでいる言葉だ。
その様々な感情を、凛とした桔梗の花姿とその静かな紫が受け止め、「かな」で文字通り昇華している。
「烈日」は残暑の厳しい日射し。
それ自体は決して「美し」いものではない。
その光景の中に桔梗が置かれてはじめて「美し」くなったわけだ。
言いかえると、まだ真夏の日射しと感じていたが、桔梗を目にして初秋の日射しであることに気づき、その光が急に澄んで見えた。
ゆえに「美し」ということ。
この作品はもう一つ仕掛けがあって、それは「美しかりし」という過去形。
ここに意味上の切れがある。
すなわち、上述したような光景・感覚を、眼前の桔梗を契機に思い出していることになる。
思い出の中なればこそ、「烈日」はますます烈しく、ますます美しい。
その美しさは烈日そのものの美しさというより、老年になって顧みた過去の美しさであり、おそらくは青春の美しさだ。
ゆえに、この「美し」は即物的な意味に止まらない。
憧憬、喪失感、諦念、あるいは悔恨、そういった様々な感情を含んでいる言葉だ。
その様々な感情を、凛とした桔梗の花姿とその静かな紫が受け止め、「かな」で文字通り昇華している。