噴煙と海紅豆の取合せから、海紅豆を県花とし、活火山の桜島がある鹿児島県が作品の舞台だと思われます。福田甲子雄は山梨の俳人。したがって描かれているのは旅人の目で見た桜島の噴火であり、本州の内陸部に住む人間が見た南国風景だと言うことになります。
 本作には鑑賞上重要な省略が2つあります。1つは、噴火の際の爆発音と地響き。句の焦点を海紅豆の赤い色に絞るために省略されていますが、「噴煙の湧けば」とある以上、この連想は必然的です。爆発音と地響きとが、土地の人間ではない作者を驚かしたことは想像に難くありません。この驚きや緊張感、さらには自然への畏敬の念といった感情が「噴煙」「湧く」「燃え立つ」「海紅豆」という強い響きをもった言葉のみを選ばせ、一句全体の格調を高めています。
 もう1つの重要な省略は、「燃えたつ」という動詞の主体です。「燃えるような赤」とはよく使われる比喩で、この場合「燃える」主体として「炎」を無意識のうちにイメージしています。
 しかし、本句の「燃えたつ」はそのような常套句ではありません。その省略された主体は「溶岩」。「燃えたつ海紅豆」とは「噴火した桜島から流れ出た溶岩が燃え立っているかのように赤い海紅豆」という意味になります。
「燃えたつ」の主体を溶岩とする理由は、一つには「噴煙」という言葉からの自然な連想です。また、旗弁が下側についた海紅豆の花の形と、山肌を流れ落ちる溶岩のイメージとのアナロジーがこの解釈を傍証します。
 一句全体の表現から考えて、実際に溶岩を見たわけではないでしょう。すなわち作者は、目の前の海紅豆を契機にして、桜島の噴火口から滾り立って流れ落ちてくる溶岩を幻想しているわけです。表面は写実的な表現ながら、その裏に奔放な空想力が躍動している。そういう省略のテクニックが本作の重厚さを生み出し、格調の高さにもつながっています。