平明すぎて稚拙にさえ思える作品ですが、「したがふ」が秀逸。橘の「花」と「葉」との関係を、この一語で見事に言い表しています。
この表現はたんに花と葉とを擬人化し、「主人である花に、従者の葉が付き従っているようだ」と喩えているだけではありません。花と葉との空間的な位置関係はもちろん、大きさの違いや、色・輝き・質感の違いなどをも畳み込んだ表現です。逆に言えば、そういった諸々の関係を「したがふ」によって省略しているわけで、この省略された部分を読み取れるかどうかで、本句は単純に見えたり、奥深く見えたりすることになります。
ところで「橘の花」は夏の季語ですが、開花期は5月から6月、初夏から梅雨にわたります。背景となる季節を「初夏」「梅雨」どちらにするかという点でも、鑑賞のあり方は大きく異なってきます。
「橘の花」を際立たせるという観点からすれば、「初夏」とする方が適切でしょう。爽やかな光と風の中でこそ、白い花弁と黄色い蘂とが一層輝く感じがするからです。
しかし、たしかに季語は橘の「花」ですが、句全体の中心は「葉」の方であることがリズムからわかります。下五の「葉三枚」は「ハ・サン・マイ」と一語一語区切るようなリズムで、さらに「ハ」と「サン」との間隔は、「サン」「マイ」のそれより長い。このような変則的なリズムは、花より葉を強く読者に印象付けます。すなわち、作者のモチーフが「花」ではなく「葉」にあることがわかります。
だとすれば、葉が際立つ「梅雨」を背景とする方が本句にはふさわしいでしょう。雨の中では花はその輝きを潜め、かわりに濡れて色を濃くした葉の方が目立ちます。また、葉が雨に濡れながら白い小さな花を取り巻いているからこそ、「したがふ」という擬人法もより一層当を得た表現になるわけです。
この表現はたんに花と葉とを擬人化し、「主人である花に、従者の葉が付き従っているようだ」と喩えているだけではありません。花と葉との空間的な位置関係はもちろん、大きさの違いや、色・輝き・質感の違いなどをも畳み込んだ表現です。逆に言えば、そういった諸々の関係を「したがふ」によって省略しているわけで、この省略された部分を読み取れるかどうかで、本句は単純に見えたり、奥深く見えたりすることになります。
ところで「橘の花」は夏の季語ですが、開花期は5月から6月、初夏から梅雨にわたります。背景となる季節を「初夏」「梅雨」どちらにするかという点でも、鑑賞のあり方は大きく異なってきます。
「橘の花」を際立たせるという観点からすれば、「初夏」とする方が適切でしょう。爽やかな光と風の中でこそ、白い花弁と黄色い蘂とが一層輝く感じがするからです。
しかし、たしかに季語は橘の「花」ですが、句全体の中心は「葉」の方であることがリズムからわかります。下五の「葉三枚」は「ハ・サン・マイ」と一語一語区切るようなリズムで、さらに「ハ」と「サン」との間隔は、「サン」「マイ」のそれより長い。このような変則的なリズムは、花より葉を強く読者に印象付けます。すなわち、作者のモチーフが「花」ではなく「葉」にあることがわかります。
だとすれば、葉が際立つ「梅雨」を背景とする方が本句にはふさわしいでしょう。雨の中では花はその輝きを潜め、かわりに濡れて色を濃くした葉の方が目立ちます。また、葉が雨に濡れながら白い小さな花を取り巻いているからこそ、「したがふ」という擬人法もより一層当を得た表現になるわけです。