『仮面の告白』にある「坂」とはこれか。
少なくとも、新宿通りと靖国通りとを結ぶ広い坂道(外苑西通り)より、こちらのほうが雰囲気はふさわしい。
昨日撮った暗闇坂もそうだが、昔からある坂道には共通した趣がある。
たぶんこの坂も江戸時代くらいからあるのだろう。
但し、gooで古地図を見ると、文久3年、西暦1863年、この付近は徳川御三家のひとつ田安徳川家の下屋敷があったところのようで、それらしい道は書かれていない。
明治以後に出来た坂道なのかもしれない。
同じくgooの明治時代の地図ではそれらしい道があるが確信はない。
三島生家の旧番地名は「四谷永住町2」だが、同住所には明治42年頃、国府犀東という詩人が住んでいたようだ。
国府は内務省、宮内省に勤めていたことがあったそうで、三島の祖父が内務省、父親が農務省の役人だったことを思い合わせると、ひょっとすると公務員宿舎だったのかもしれない。
ただ、明治37年(1904年)頃、永住町には18戸の木賃宿があり(幸徳秋水「木賃宿ルポルタージュ」)、時代は異なるが、プロレタリア作家の中野重治も運動による逮捕・出所後、永住町に昭和9年から12年まで暮らしている(永住町1)。
永住町は労働者の町だったという想像もできる。
あれこれ考え合わせると、四谷永住町は貴賎、聖俗が混然とした、三島由紀夫の人生が始まるのにいかにもふさわしい場所だったと思えてくる。
大学の卒論のテーマは『仮面の告白』だった。
あの頃から現在に至る過程で、何を得、何を失ったか。
いずれにせよ元の位置に戻ってきたのには違いない。
人生のこの時期に、この場所で、そしてこのような状況下で来し方行く末を思いやっていることに不思議な因縁めいたものを感じる。