とある雑誌編集者のアリャリャな日常 border=

アメリア・アレナス著『みる かんがえる はなす』(淡交社、2001年)要約の続き。

昨日は芸術家と鑑賞者との間にあるギャップついて書いた。
両者のギャップをさらに広げるものがある。
それは作品のフォルム。
あるいは作品そのものと言ってもいいだろう。
芸術家が作品に込めた意図を、作品それ自体が鑑賞者の目から覆い隠してしまう場合があるとアレナスはいう。
そのもっとも先鋭化したケースが、美術作品の引き起こすスキャンダル。
ニューヨークにあるブルックリン美術館で1999年に開催された現代美術展「センセーション」が例としてあげられている。
この展覧会ではその名どおりセンセーショナルな作品ばかりが展示されていたらしい。
なかでもイギリスのターナー賞を1998年度に受賞した黒人作家クリス・オフィリの作品「聖母子」は、当時のニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニを激怒させ、来場者の一人からはペンキをかけられたという。
この作品は、聖母のペインティングを象の糞やポルノ雑誌の切り抜きで飾りつけたもの。
冒涜的であるとの理由から非難されたようだ。
本文には触れられていないが、この作品の持つ意味については、「artscape」で嘉藤笑子氏が解説している
それによると、クリス・オフィリのルーツであるナイジェリアと西洋社会との歴史的な関係をこの作品は表現しているという。
ちなみに、ナイジェリアはかつて奴隷貿易の拠点のひとつだった。

続きはまた明日。

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