$とある雑誌編集者のアリャリャな日常

アメリア・アレナス著『みる かんがえる はなす』(淡交社、2001年)
サブタイトルは「鑑賞教育へのヒント」となっているが、たんに教育問題だけを扱っているわけではない。
「そもそも人間にとって“美術作品を見る”とはどういう行為なのか」という哲学的な問いから出発する、知的に刺激される内容。
作る側ではなく、見る側から美術作品を捉えなおしているのが私には新鮮だった。
もっとも、じっくり読んだのはまだ前半部分だけ。
読んだ部分までを私自身の解釈を含めながらごく簡単に要約してみよう。

1925年、猿人アウストラロピテクスの遺跡から人面に似た形の小石が発見された。
彫刻されたものではなかったが、アウストラロピテクスがこの小石になんらかの意味を見出していたことは確からしい。
実在する「モノ」を見て、別の何かをイメージする能力は猿人にもあったようだ。
目に映るものを自分にとって意味のある象徴に読みかえるこの能力こそが、美術が成立する土台となっている。
人は美術作品を自分にとって意味のある象徴に置き換えたうえで鑑賞している。
「意味のある象徴に置き換える」とは、自分の体験や知識、人格に照らし合わせて解釈するということでもある。
逆に、鑑賞者がそのような解釈を意識的に行うことではじめて作品は作品たりうるのであり、さもなければ美術史上のどんな傑作もその人にとってはたんなる「モノ」でしかない。
この意味で美術作品は「ある」ものではなく、「生じる」ものである。

前半部分(第1章~第2章)はざっとこんな内容だ。
あくまで要約。
本文はもっといろんな角度から考証している。

後半部分についてはまた明日書こう。

おすすめ。
興味のある方はこちらを。

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