絵についての記事を書くとかならずアクセス数が激減する。
がっかりする。
それでも絵を見たりそれについて考えているときがいちばんリラックスできるし、楽しい。
というわけでがんばって書き続けよう。

先日、古本屋で、「エルミタージュ美術館展 フランス近代絵画の流れ」の図録を購入した。
この展覧会は、1988年に東郷青児美術館で開催されたもの。
その図録のなかで、A.G.コステーネヴィチというエルミタージュ美術館上級学芸員がフランス近代絵画史を解説しており、ナビ派についても言及している。
5月31日の記事で私が想像して書いたことを裏付けてくれる内容なので、その要点を以下にまとめておく。

●ナビ派は多くの異なる各派を包摂したものだったため、長く存在することができなかった。
●メンバーは、思想的・創造的接点によるよりも、純粋に同志的なつながりだった。
●美術史上ナビ派が印象派のような大きな役割を果たさなかったのは、彼らが前人未踏の道の開拓者になることを目指さず、ゴーギャン、セザンヌ、ドガ、ルノワール、モネのような一世代前の画家達の達成した業績を発展させることに自己の課題を見出していたためである。


ナビ派については、これ以上付けくわえることはないように思う。
ところで、コステーネヴィチ氏は、ボナールについておもしろい評価の仕方をしている。
ある箇所では、ボナールは絵画史上、マネ、モネ、ルノワールといった巨匠と肩をならべる存在であるとしながら、別の箇所では「個性および芸術面での華やかさ、強烈さはまったくない」とも書いているのだ。
一見したところは記述が矛盾している。
「技術的にも個性的にも突出したところがないのに“巨匠”足りえるのか?」という問いにその文章は答えていない。
しかし、矛盾した表現にならざるをえなかった理由がわからないでもない。
それほどボナールの魅力をひと言で表すのは難しい。
おそらくコステーネヴィチ氏がはからずも提示した矛盾のなかにこそ、その魅力の源泉があるのだろう。

ボナールの作品も展示されているオルセー美術館展2010「ポスト印象派」は国立新美術館で開催中。
詳しくは公式サイトを。

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