著者は音楽ジャーナリスト、サントリーホール・エグゼクティブプロデューザー。カラヤンが65歳のときから81歳で逝去するまでの15年間、20世紀を代表するこの指揮者に親しく接したその回顧録。
興味深かったのは次のエピソード。
1984年10月にカラヤンがベルリン・フィルとともに来日したときのこと。コンサートの2曲目、リヒャルト・シュトラウスの「ドンファン」が明るく快活にはじまるはずが、カラヤンは勘違いして暗くゆっくりはじまるチャイコフスキーの交響曲第5番を指揮しはじめたという。
勘違いしたことが面白いのではない。
面白いのは、指揮者の勘違いにすぐに気づいたオーケストラが、最初の音を出しただけで演奏をやめたあとも、数秒のあいだカラヤンが目をつむったままタクトを振り続けたということ。
少なくとも、その数秒間カラヤンは、耳から聞こえてくる現実の音ではなく、自分の頭の中だけに響いている音を聞いていたことになる。
当時カラヤンは76歳だが、聴覚に衰えがあったわけではないようだ。
著者は、「頭の半分で実際の音を聞きながらも、あとの半分では楽曲の一歩先を考えていないと、指揮という作業はできないのではないか」と推察し、ピアニストも同様に実際弾いている音よりも先の譜面を見ていると指摘している(171ページ)。
創造的な人間は、イメージと五感とのあいだ、精神と肉体とのあいだに横たわっている懸隔が、常人より大きいということなのかもしれない。

ちなみに、カラヤンが息を引き取ったのが、ソニー社長の大賀典雄との歓談中だったことをこの本ではじめて知った。

カラヤン好き、あるいは私のようにカラヤン好きでなくてもクラシック音楽好きにはおすすめ。

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