今日は昨日以上に調子がよくなかった。
昨夜のバイトは半月ぶりに店長とのシフトだったのだけど、
いくつもミスをしてしまい、さらに店長から
最も気にしている弱点(売り場を覚えられない)を指摘され、
午前中、自分を責めて何度も泣いてしまった。
ひとりでいたくない気持ちが切実であるほど、
人前に出られる状態ではないジレンマ。
午後になって、のろのろとではあるけれど
ようやく身体を動かせるようになった。
身体が動くまで、届いたばかりの文庫本を読んでしのいだ。
よしもとばななのエッセイ本。
彼女の作風は苦手だけれど、うまいのでつい読んでしまう。
清志郎の「気の合う友達って たくさんいるのさ
今は気付かないだけ 街ですれちがっただけで わかるようになるよ」
という歌を聴いて、そうだ、きっとそうだ、
今はつらいけど、きっとそうなるんだ、と思ってから、
本当に気の合う人たちを見つけるまで少しのギャップの時代があった。
つらかった。
それは他の誰でもない、自分を調整する時代だった。
目の前の人にこびてそれなりの時間をつぶす(そうしていると
時間だけがどんどんたってしまうし、自分の見た目も
そのグループに埋没する)のではなく、
たとえ今ひとりぼっちになっても、気の合う人を見つけるまで、
自分のありのままでふんばるんだ、と思った。
そこで信じることをやめなかったから、
そんな人たちにもめぐりあえたのだろう。
―よしもとばなな『大人の水ぼうそう』 (新潮文庫・2010年)
P166-167
「自分のありのままでふんばる」。
とてもわかる気がした。
この「ありのまま」は、
「とことんわがままを許される」こととは、ちょっと違うように思う。
自分や他人に誠実であろうと努力すること。
それが空回りしてしまうときも、
かっこ悪いからと隠したり、努力しつづけることをあきらめたりしないこと。
ださい自分もごまかさない。
それがこの「ありのまま」のような気がする。
そして、「気の合う人」とは
「だいじょうぶ。頑張っているのは伝わってるよ」と認めてくれる人、
ではないかと思う。
言葉にできない思いに気づいてくれる。
そんなひとと出会えたとき、生きる希望がうまれる。
その思いに応えてもらえる。
それはもう、奇跡と呼んでいいのではないか。
気の合う人の特徴として、
別れてからその人の声がまだ耳の中にする、というのがある。
―前掲同書 P176
気が合う人となら、距離や時間の壁も越えてしまうのかもしれない。
一人の部屋で、しみじみ思う。
【追記】 来週は通院記録を少しでもまとめたいと思っています。
頑張りますー。