かんがえる蛙 -10ページ目

かんがえる蛙

いろいろカンガエル日々のブログ。

さまざまな人材系のセミナーでお話しさせていただくときに「人は育成するものではない」ことをお話しします。組織内で私たち先輩ができることは定着フローの醸成と、当人が「目的を持ってことに取り組む」きっかけ、内発の支援のみです。モノサシや枠に、素晴らしいものはたくさんありますが、それがその人、その組織、その目的に見合うものかどうかは、まさに当人が決めることであって、上司やメンターといえども「決めさせる」ことはできません。

新人が難しいと感じた時は、自分自身を振り返ってみることです。他愛もないことで悩んだり、自分のことを思っていってくれているのに受け入れられなかったり。今目の前に毎日いる人も、来年にはそうではないかもしれない。少なくとも10年一緒のチームでやることなど稀も稀だと思います。であれば、70年とも80年とも言われる人生の「ほんの一瞬」を切り取った時間は、互いにその後の糧となる関わり合いを持ちたいものです。

もし、育成するということが使命としてある方がいらっしゃるなら、それは育成対象者と一緒に課題に本気で向き合う姿勢を持つことだと思います。
「悲劇の主人公になるな!」

「一喜一憂するな!」

その日その日の新規獲得営業という、今考えても続けるのは相当困難な仕事を通じて学んだ土台はなかなか強固なものだと今になって思います。昔見た「プライベートライアン」の冒頭シーンのように、ノルマンディーに上陸したとたんに弾に当たってバタバタと倒れていく仲間を尻目に、とにかく生き残るために必死だったあの頃でした。

その「ふり幅」の中で学んだことは清濁含めて貴重な判断・決断資源になっています。明日になれば今日の成果も不振も過去のもの。新しい何かを生み出すために自分がどうしていくかのみ。そうこうしているうちにこの一瞬も過去に流れていきます。

内発に火を灯し続けて、どんな現実にも次を切り拓く意欲と情熱を持ち続けたいと思います。過去のすべては今につなげ、つないでいかなければ意味を成さないのです。それが新しい人と人をつなげていく材料にもなると考えます。
外部からいろいろな「チーム」に関わる仕事をしていると、気づくことがたくさんあります。そのうちのひとつが「献身」という概念があるチームが強いということ。

仕事には損得がつきものなので、自分の欲求(ひとそれぞれ)を満たすべく、意識的に、ときには無意識に行動していると思うのですが、自分以外の誰かの何かに気づき、損得は関係なく動ける人には巡り巡ってよいことも返ってくるようです。チームが存在意義を感じてくれる。

やがてそれがチームの文化になると、体裁とか、評価とか、銭金とかとは違う次元で仕事をし出し、結果的に多くの承認や見返りが得られる。目的と手段を間違って混在させてはいけないとよく言いますが、まったくその通りだと思います。

チームあってこその自分。その自分がチームに主軸を置いて仕事することは、実は自然で健全なことなのではないかなと思います。特に管理者は感情ではなく理性。チームの目的はどこにあるかを精査して、理性的にことを運ぶことこそ重要なのではないかなと思います。

献身は一見偽善的ですが、何かを成し遂げるにあたり最初の切り口だと考えます。