自分を創ってきたもの | かんがえる蛙

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いろいろカンガエル日々のブログ。

よく新入社員は「3年はやめたらあかんぞ!」とか「20代はとにかく頑張れ!」などと根拠のない激励を受けたりします。正解でも間違いでもないと思います。ただ、「継続は力なり」という言葉がありますが、これは言い得て妙です。

自分のことを振り返ってみることは大切です。どんな感じで今の自分になっているのか?いまひとつイメージより下回っているのであればどこでどんなことが足りなかったのか?またこれからそれをどこで機会として創り出すか。例えば私のように40歳も過ぎてから「よし!医者になるぞ!」というのは不可能ではないと思いますが非現実的。でも、冷静に自分を検証していくとその道よりもやっていけることがあるものです。そして、それはおのずと自分が永らく経験したことであったり、時間をかけて取り組んだことであったりします。逆説的に考えるとぞっとします。もしこの打ち込んできたことがなければ選択肢は狭いだろうなあ・・と。

中途社員の面接代行を請けることがあります。事前に履歴書などを拝見しますが、やはり続けられたものの無い人はどことなく自信もなく、説得力もなく、魅力も薄い気がします。もちろん一概には言えませんが。ただコンピタンスが曖昧なことは間違いないでしょう。

つまり冒頭の話、自分にとって一体何が備わっている、もしくは開発される能力であるかを、できるだけ場数を踏んで見つけ出す事が大切です。人生は自分にとって妥当な目標設定をしてまい進することこそが生産的。経験には微塵の無駄もありませんのでとにかく与えられたフィールドで精いっぱいの努力をしていくことが答えだと思います。

ちなみに私は、会社からの課題をやろうとしないやつは存在する意味がないと23歳の時に思っていて、実はひとそれぞれ違う価値観のもとに生きていると気づいたのが初めての部下を持った25歳の時で、やるからにはエンジンかけて組織を牽引できる人間になろうと思ったのが26歳の時で、頑張っても報われないなら適当でいいのではないかと組織内での運を呪ったのが28歳の時、問答無用でそれまで培ってきた能力や引き出しを総動員したのが30歳の時で、自分ひとりの正論では限界があると感じたのが32歳の時、機能停止したのが33歳の時で、再度これまでの引き出しを総動員しつつ、実は膨大な量を自分にインストールしなくてはいけないと気づいたのが34歳の時。

「人が助けてくれている事に気づけるかどうかが人間にとって大切な要素」

とは、関与先社長の印象的な言葉。相手ありきで居続けられる人間は沈まない。交わることのできない上司も、ひたむきに信じてついて来てくれた部下も、理不尽な仕打ちも、震えるような成功体験も、すべては自分を創り出してきたものになっているのだと事あるごとに確認しなくては人間成長しまへんなあ。

私の人格形成にも影響を与えた部下が、退職するときに涙も見せずに歌ってくれた一曲。


辛い時に思い出すのが、自分よりも経験があり完成度も高い上司ではなく、未熟でイライラばかりさせられた部下ばかりなのはなぜだろう。あ、今特に辛いことがあるわけではありません。参考までに。

これ歌っていた部下は大分で頑張っております。


自分の日常や職業には近視眼的になりがち。そこで何を成すべきで、その後何に活きるか。自分の人生に登場する人物を注意深く観察し、盗み、吸収し、ありがたみを感じて過ごしていきたいものです。今、毎日顔を合わせている同士でも、10年経てばそれが当り前ではなくなることがほとんどなのだから。

経験こそがおおいなる財産です。