中受をすると、どうしても思ってしまいますよね、
「月5万円も出して、これだけ時間を費消しているのだから、
そのリターンとして偏差値60じゃ甘っちょろい、70は得られなければリターンとはいえない。
偏差値50は平均であるから、お金も時間も使っていない人と同じではないか、
お金と時間を使って偏差値50なら、その消費をただちにやめて公立に行くのが合理的選択だろう」と。

自分のときは、お金は出してもらっていたとして、時代や母数は違えど、投入時間と偏差値、順位は正比例していました。
そのときは、解ける喜びしかなく、壊れる話はきいたことなかったけれど、
後から振り返って、体力やEQなど、疑問に思うようになった。
その後の何年間に形成される人格も考えれば、その1~2年間の投入時間と、その何十年後の安定とは、
何の関連性もないと思います。

自分が中受経験者だったので、どのレベルの問題であろうと、子供がついてくる気があれば、
すべて教えてあげることができる、と思いましたが、これはアドバンテージでも何でもありません。
人によっては、一段上の問題をおさえようとすると、
かえって基本問題の解法が記憶から押し出されて忘れてしまいます
投入時間さえ確保できれば、だれでも等しく上限を極められるのではなく、
個人差により、あるレベルを超えると投入時間が増えても習得が追い付かなくなるようです。

私の受験終了後に、知り合いの母親が、私を引き合いに出して、このようになれるか、と室長に訊いたそうだが、

塾長から、ああ、彼は異常だから目指してはいけない、と言われたそうです。
その話を聞いたときは、気休めで言ったのだろう、と思いましたし、
投入時間と成果は正比例すると考え疑っていませんでしたが、
今から考えると、同じ教材を使っていても集団としては不連続で、室長の言葉のとおりだったのだと思います。
そこを目指せたからといって、先の人生にアドバンテージがあるわけでもありません。


金廣志先生の「落ちたっていいじゃん」や、
朝比奈あすかさんの「翼の翼」を読むと、そのことを再認識します。