道標
穏やかな気持ちになったとき、僕は幸せを感じている。幸せを感じているとき、穏やかな気持ちをもっている。どちらが先がわからないけど、そのふたつは融合し、そのとき、僕はたぶん不安から解き放たれている。
知らないことを挑戦するとき、ひとは激しくほどに辛く感じることが多い。そこには本当ならば幸せがあったとしても人はなぜか幸せをみようとしないし、もちろん幸せを感じない。
人生は、知らないことへの挑戦の連続である。目的のない挑戦しない人生は僕には論外である。
忙しすぎるとき、時間に対する先が読めなくなる事もある。先が読めなくなると急に不安になる。
不安から解き放たれ、穏やかな心を得る入り口は、知ること、理解すること、到達すること、だと思う。何かを知り、前が見えたとき、不安から解き放たれる。そのとき、人の心には、感謝の気持ちがあり、穏やかになる。
人生は知らないことへの挑戦である。
しかし、そういう境遇を楽しめる、そして、幸せを感じれる人もいる。
そういう人生をおくっている人は、自らの人生の先を知っている。
見えない先を知るとは、物語の最後まで観たという経験を得ることから始まる。
そんな経験は言葉では表せない本質を見出し、やがて人生の『道標』となる。
『道標』を得た人生は、初めての挑戦や不安に、“不透明ながらも知る”という光を灯し続ける。
そう、その瞬間、人は不安の中で、幸せを感じるんだ。
まだ道半ばだけど、僕はそう思っている。
iPhoneからの投稿