ところでタイトルにある話は今回のイベントで明暗を分けた人という意味でもあります。
新規事業の段階で興味がないから来ない、説明会には行かないという話をしてくれたら分かりやすいですし助かります。
その事で僕がどうのこうの思ったり、何かを言う事はありません。
しかし、イベントに参加するかどうかの連絡すら来ない人に対しては内容に関する云々という以前の話で、単純に人としての常識がないと思います。
まぁ、今後その人達には僕から連絡をする事は無いです。
少なくとも3人以上は連絡すらしてこない人がいました。
その数日前にLINEのメッセージでやり取りしていたり、参加の有無の連絡は遅くとも前日までに忙しいところ申し訳ないけれどもメッセージ下さい。
と伝えて最初は社交辞令の人もいましたしどんな内容かを聞いてくるだけの人もいましたが、参加に関する連絡を前日までに下さいねと案内した人達は全て既読になっています(笑)
世の中には本当に残念な人達がいますね。
もし何か反論があるならしてもらってもいいけど、この真実に勝てる言い訳があるなら僕が知りたいです。
それに人間の言葉等は参考程度にしかならないと思っているからです。
その人が普段からどういう行動をしているのか、それが真実だと僕が思っているからです。
何かの件で忘れた頃に連絡があったとしても、もう僕の中では風化して忘れています。
ただ、普通の対応が出来ない人だったのかとハッキリ分かったので収穫ありです。
今後の付き合い方がハッキリするし、ぶっちゃけそこまで無理して人付き合いする必要すらないと思っています。
そういう人達と人間関係が普段からあるかないかは関係ないです。
例え一度の名刺交換を数年前にしたくらいの人でも、声をかけたのですから参加の連絡の有無くらいは合って然りだと思っています。
どんな状況であれ実際に来て頂いた人に対しては、僕はすごい感謝の気持ちがあります。
タイトルのように前者は特に「大切にしなければいけない人」だと思います。
事前に連絡が来て、イベントに終わってから遅れてでも説明会場に来て頂きました。
誰が見ても一目瞭然ですね。
特に僕は叩き上げとも言うべきガチンコをしてきた中身が体育会系ですので、感動します。
僕は見た目とか雰囲気とかIT系業種等でインテリ系とよく言われますが、実は情熱大陸で涙を流す系です。
イベントが終わってからでも駆けつけてくれるなんて、言葉は要らないです。
とても嬉しかったです、僕も血の通った人間なのでやはり感動するじゃないですか。
仕事云々とか、そういう話を置いといて、まずはそういう人間としての気持ちを大事にしているかどうか、大事なのは言葉ではないんだと思っています。
行動で示す真実に勝るものはありません。
言い訳なんか、所詮全部言い訳なんです。
出来るとか出来ないとかユル過ぎます、結局どうゆう行動を「やるかやらないか」だけだと思います。
世の中って、実はこの視点から見ると決して難しくはないんですよね。
仕事に関してはやりたくなったら人は勝手に動きます。
やりたい事がなければ何度か呼びかけてはみます。
その人が今は眠っていると感じたら、「とりあえず揺さぶって起こすような事はしますけど、それでも起きてこなかったらさようなら」です。
そんな人は無理に覚醒しなくていいです、そのまま寝ていたらいいんです。
僕は細かい事が面倒なタイプです。
夢の実現の為にあなたはこれでどうなりたいの?
どうしたいの?
何がやりたいの?
某マンガの主人公は「海賊王に俺はナル!」や別のマンガの主人公も「俺は火影にナルってばよ!」と決めています、本来は分かりやすいです。(またマンガから引用しました)
つまり、幼い子供でも分かる事を僕は常に確認しています。
その視点で物事を判断するので大人という大義名分を見分ける事が出来ます。
本当の真意なんて、めっちゃ簡単。
人の本音なんかめっちゃ簡単。
人が何と言おうが僕はそう感じています、熱い魂がそこにあるのかどうかです。
そういった意味では、僕は幼い子供と意見がよく合います。
子供達と普段は同じ目線で話が出来る僕の特技は、こういうところに理由があるからなのかもしれません。
僕の性格は大まかに、子供の僕とおじいちゃんの僕が同居しているような状態ですから、場に応じて使い分けれます。
両親がケンカしているのを見ている子供に対して、「人と仲良くしなさい」って言う親はバカです。
子供は周りをよく見て聞いています。
躾とは身を美しくすると書くのですが、僕の場合は親が身と心を引き締めて律していなきゃ子育てを間違えるんじゃないか。
いつもそう思って、自分自身に警告を出し続けています。
場合によっては反面教師になり、悪役レスラーとなって悪い言葉をわざと出して、しばらくしたら子供に多角的な話をします。
すると、子供は素直に応えるのです。
そんなの子供に分かる訳がないって思っているのは親の一方的な思い込みです。
鈍くなった大人よりも、何故どうしてそうなって、何故そうなっているのかという真理を見極めようとする力は凄い。
理解力は半端ないのです。
分かっていないのは親の方です。
だから、僕自身はいつもヒヤヒヤですが肝心なのは「根拠なき信用を子供にしています」。
これぞ賛否両論のあるピグマリオン効果ですね。
心理学を学んだ人は分かるでしょうし、分からないなら検索したら情報は出てきます。
フラシーボ効果を知っている人が多いのにピグマリオン効果を知っている人が少なくて、大事なのは普段からそれを実践している人が少ない。
今日は改めてそう思いました。
一部の批判的な学者とか何か言っている人達は今回は僕は無視します。
だって、自分が実感した事だもん。
学生時代ですが、何にもない時に「根拠はないけど、こいつは出来る奴なんだ」って言葉に出さずとも行動や態度にしてくれた先輩や先生に、本当に結果で応えたいと思った事がありました。
これとは逆に子供はゴーレム効果に敏感だと思います。
良い意味で期待してくれたら応えたいと無意識に思った経験から、肯定派になりました。
否定派の多くは頭で物事を考え過ぎだと僕は思います。
ガチンコの何が悪い!ごちゃごちゃうるせえんだよ!
僕は本音はこっちの方が分かりやすい派です(笑)
だから昔から小柄で無口でおとなしいと言われていても暴走族長やごっつい怖い先輩にも気に入られたのかなと今振り返ってみるとそう感じます。
何を小手先でやりくりする必要があるのか、今の僕にはあまり理解出来ません。
ただ自信が持てない時期に小手先に頼りたくなる気持ちは分かるんですけどね。
しかし、だからと言って妥協してはいけません。
傷のなめ合いで何が得られますか?
話を元に戻しますが、連絡すら来ない人に何があったのかは知りませんし、社会の荒波で何に屈してしまったのか同調する気持ちにもなりません。
悲しいですが、上記に述べているように最近あまり会えていなくてもつい去年くらいまでお茶とかしていた人もいます。
やっぱ大の大人が、社会人がやったらアカン事はやったらアカンのです。
僕に対してムカつくとか何らかの嫌いな要素を個人的に、腹のどこかに抱えたとしていても連絡くらいしてくるのが筋だと思います。
恥を知れ!
恥ずかしくないんかな、仮にいかなる非が僕にあろうとも連絡すらしてこないという行動は、人を心底なめているとしか思えない。
僕は本当にそうとしか受け止められない人なんです。
こんな行動に、どんな言い訳も出来る訳が無い。
痕跡は残るんです、永遠に。
ただ、もしも謝ってきたら許します。
軽くてもごめんねって言われたら、「あ、もう別にいーっすよ」って感じです(僕は単純明快)
ビジネス以前の話をまずは書きたかったので、とにかく書きました。
こんな失礼な事をする人に絶対にならんように子供には、たまに鉄拳制裁する僕ですけどね。
くれぐれも語弊の無いように、仏の顔も三度までルールで、イエローカードを無視して調子に乗っている子供に対して、おしりパチンです。
それでもあまりにひどい時は理由付きで、平手で皮膚を赤くする程度に叩きます。
これは大人でも痛いはず。
どんな幼い子供でも、親の顔色くらいを多少くらいは見ろっ!ていうのが僕のやり方です。
養ってもらっているんだから、生物の世界で親に対して調子に乗るなんて考えられない。
子供がどんなに可愛くても、そんな風に育つのなら死んでくれた方がマシです。
子供に気に入られたいから親が必要以上に子供に対してへりくだる人が増えているそうですが背筋が凍ります。
何でも加減を知らない人が多いんですね。
特にメリハリは大事だと思います。
マンガネタになりますが、北斗の拳のサウザーが死ぬ前にケンシロウに教えられて気づく名言が好きです。
ケンシロウ「温もりを忘れた訳ではないだろう」という感じだった気がします。
サウザーはそれで師匠との思い出を回想して、温かみを思い出しながら死んでいくのですが、ケンシロウともっと早く会っていたらと言います。
「愛ゆえに人は苦しまねばならん、愛ゆえに!」と連呼するサウザーは愛に飢えた人でした。
しかし温もりは心の奥底に残るんですね。
過去回想では子供のサウザーが技を習得して師匠に褒められて頭ナデナデされた事とか、言葉足らずであっても心に残るんですね。
北斗の拳をバイブルと言っている人を何度も見かけましたが、本当に良いマンガです(またマンガネタかよ)
僕が子供に怒るのではなく叱る時はちゃんと後で同じ目線で真剣に向き合います。
そして僕も自分で自身の行動を振り返り、少し叩き過ぎたと反省して胸が締め付けられたら思わず「ごめんね」と謝って子供が嫌がったとしても半強制的にハグします(子供にしてみたら迷惑でバカな父ちゃんです)。
しかし、子供の顔は笑っています。
喜んでくれているみたいで、臆病者の僕は安心します。
繊細な子供なので、接する時は僕なりにパフォーマンスと演出や役柄以外ではかなり神経を使います。
とても大事な子供なので、間違った人間にはならないようにと思っています。
まとめると戦前の日本の頑固親父の要素と、ダメな部分を見せる部分と今風の一緒に遊ぶ親父を織り交ぜています。
ふぅぅ、何が正しい子育てなのか僕には永遠のテーマですね。
難しいけど、僕がやりたい事だから出来るんですよね。
かけがえのない我が子は全て真摯に応えてくれます。
僕にとっては世の中のどんな人よりも深い関わりが出来る存在です。
ずっと裏切らないと思っていますし、例えば百歩譲って成長してから裏切るような事が一時的に起きても何とも思いません。
目に入れても痛くない気持ちです、実際に子供の手が目に入ったら痛いよ(笑)
というか親に原因があるから子供が不良になったり道を間違うと思います。
〇〇もんたを見てたら一目瞭然です。
あの人の表情と目をしっかり見た事ある人どれだけいますかね。
あの事件を子供が起こすって事は、それなりの原因があるのです。
「因果の法則」は必ずあります。
あ、今日は長文になってしまいました(焦)
今日もご愛読ありがとうございます。