0291良い行い
・人は良いことを行おうとする。良いこととは、人の基準で人が勝手に決めたものだ。だが、どういうわけか歴史上、洋の東西上、良いことというのは共通認識のように備わっている。心臓がなぜか左に配置されるように、良いことも人の心に配置されている。
そして良いことを向き、行えば心が感動したり感謝したり、いわゆるいい感情を持つようになる。良いことに反したときは心が苦しくなったり、悲しくなったり、いわゆる負の感情を持ちそれを避けようとする。
それをベースに、それを理由に、人は良い行いをしようとする。
0292うまくいくこと
・良い方向に向きその感情を感じるように、人はうまくいくように思考する。うまくいくというのは何か?いろいろとあるとは思うがこれも人類がなぜか共通的に持っている。人は放っておくとうまく行こうとする。そういう働きかけが起こる。放っておかずに考えはじめると「自然の状態よりもよりうまく」いこうとする。ともあれうまく行こうとする。誰もが「ダメになろう」とずっと維持することができない。
0293人から認められる
・良いことや、うまくいくことに向かうために人は大きな集団を作ろうとする。紆余曲折があり歩みが遅くても「全体」で見れば人類は何か方向付けされたのではないか?という方に向かって進んでいる。全体的に見れば良く、うまくなってきている。
ところが個人の誰も全体がうまくいくために頑張ろうなどとは思わない。自分が良く、自分がうまくいくために感じ、考える。それはときに間違うことも失敗することもある。自分で自分を制約することもある。だから自分をうまく運ぶために「人から認められる」必要がある。
これもまた人間の心にいつのまにかプログラムされている。認められなけば死ぬ。
0294自分を生かす
・誰もが自分を生かそうとする。良いこと、うまくいくことを、人から認められて進めるのに自分の力で進もうとする。自力と能動を優先する。自分には何ができるか?と考え、何もできないことが明らかになれば失望する。これも心の働きとしてなぜかそういうものがある。
人から認められれば落ちず、自分を生かせればより効果的に「良いこと」「うまくいくこと」に打ち込める。この4つが1セットで組み込まれている。
そして誰が何を教えなくても人間はこの4つのセットの方向に向かいはじめる。
0295一定%の足止め
・個々人が無目的に、自分が良く、うまくいく方向を目指してもある一定の%で足止めされる人たちがいる。例えば人から認められない人がいる。自分で人から認められることを拒否し、セーブし、少なめに調整する癖がある人もいる。自分を生かさない人もいる。社会や他人の言うことを正しいとして自分を失い、外の世界の基準を満たすために自分を使う。悪くすると病気になったり燃え尽きて寝たきりになることもある。
この一定%はなぜか存在する。誰がどんなに手を入れてもどういうわけかそうなる。
0296一定%の革新
・一定%の足止めが存在するのとは逆に、これもまたなぜか一定%で新しいものを好み、創造し、イノベーションしていく人たちがいる。誰に教えられたわけでもなく、彼らはそうする。例えば天才と呼ばれる人の中には日常生活がままならなかったり、プライベートが全く充足していない人もいる。それでも人生全般を通じて見てみると満足な生き方をしていることがある。そういう革新的な人はどのような状況下でも必ず生まれる。
足止めされる人と革新的な人よりも数で圧倒的に多いのは、現状を維持しゆっくりと進める人だ。ここを土台として人類の物事が進んでいる。
0297大きくなる
・事業でも習い事でもなんでもいいが、人は大きくなろうとする。事業規模や売り上げを。大会でのランクを。持ち家を、車を。個人ではある分野で足止めされるかもしれないし、別の分野で革新するかもしれない。不安定で個人的に見れば失敗するかもしれない。
だが集団になったり、大きくなると全体的には進むことができるようになる。誰かが失敗しても人類に悪影響はない。同じことが人が「大きくなろうとする」というメカニズムに組み込まれている。
より心通う人とつながろうとする。より仕事ができるようになろうとする。そのために大きくなる方向を向き始める。
0298全体性とは?
・人の心が本当に求めることを進めていくと、人類の何かが必ず進む。これを「全体性」という。人類がどこに進むのは個人は知覚できない。個人の知覚範囲を超えていて認識できない。だが数千年の流れを見れば明らかにいくつかの方向付けがあることがわかる。
その方向には確実に進む。だが、個人はそれを意識しない。そして個人はそちらに進もうとすら思っていない。自分のことと自分の周囲のことしか考えていない。個人の可能性は無限のように思えるが、どの時代のどこに生まれても、個人の可能性は必ずこの全体性の中の可能性になる。しかも全体性には、「足止め」「革新」「土台」の一定%があり、個人がその枠組みの可能性を出ることはかなり難しい。
0299全体性の枠組み
・全体性の枠組み、人類の方向性の中で個人の裁量があるのであれば、どのようなことを行ってもその枠組みの外のことを行うことはできない。また人や社会が「それはいけない」としていることもなぜかなくならないのなら、それは方向性に必要である可能性がある。例えば森林が伐採されすぎて二酸化炭素が増えているとか、戦争の数自体は減ったが兵器の開発により殺傷人口は増えた、というのは全体性に組み込まれ「必要だからそうなっている」という可能性がある。
個人や社会がどんなにその枠組みをなくそうとしても、そうそうなくなるものではない。なくなるのだとしたら、方向性で役割を終えたからになるだろう。例えば馬車やある種の疫病が消えたようなことだ。
0300足止め存在になる
・人の希望や愛、素晴らしき経験と感情もこの全体性を進める部品として備わっている可能性がある。「良いこと」「うまくいくこと」を向いてしまうということ。「人から認められる」「自分を生かす」としてしまうこと。
逆に全体性は「足止め」するような人を包括している。本来そういう人がいない方がうまく進むと考えてしまうが、全体性はそれが「いる方が」うまく進むから存在させている、と考えたほうが合理的だ。
ということは、人は自分から全体性の足止めをする存在になることができる。特に良くなく、うまくいくわけではなく、人から認められるわけではなく、自分を生かすかどうか未知数であることをやることができる。
全体性の懐が深いので、そういう存在になることも許容される。
0301全体性への対抗手段
・なぜわざわざ足止め存在になる必要があるのか?(自分の足止めではなく、全体性のメカニズムに対する足止め)そのひとつの理由が超越才能になる。超越才能は自分がその力を持っていても「特に良くなく」「うまくいくとは全く言えず」「人からは決して認められず」「自分を生かさない」。
良くないというのは未知すぎて良さを判定する基準がなく、採用されないのでうまくもいかない。超越していて人は認めてくれず、それを駆使しても何で自分を生かしているか説明できる状態にはならない。
個人の中に全体性に対抗する手段の芽が埋もれているかもしれない。そのスイッチを押すとどうなるのか?にトライすることが独立した個人の力が拓く新しい可能性かもしれない。
0302全体性の緻密
・考えてみると超越才能はほぼ全く発揮されず、仮に発揮できたとしてもうまく失敗するように背景が組まれている。そもそも超越才能があることをなかったことにする「自然放棄」が全体性によって個人に組まれている。
だが超越才能を可能にしたとして、それも全体性に組み込まれた方向性かもしれない。超越才能を持ったまま死んでも、将来子孫か魂の系譜による転生で未来必要なときに生かされるかもしれない。つまり、将来のためのストックであり貯金であるかもしれない。
貯金に先に手をつけたところで全体性の手のひらの上の物事かもしれない。
全体性は人間個体が感知できないぐらいには完璧に作られている可能性もある。またはその網をくぐり抜けてもそれはオプションであり修正や方向替えがきく程度の些細なことかもしれない。
0303全体性を見分ける
・全体性は緻密に組まれている。個人でいうなら感情や思考も組まれている可能性が高い。物事でいうなら戦争や文明の発達も組まれている可能性が高い。全体性を探す。様々な分野から探すことができる。例えば転生回数5回目と4回目が圧倒的に多いのはなぜか?そうでなければ成り立たない何かがあるからではないか?と考えてみる。例えばリーダーというポジションはほぼ組織になんの影響力もないが、誰もが影響があり、責任があり、絶対になくてはならないと思ってしまうのはなぜなのか。
不合理や不条理、歴史上なぜか続いていることや定期的に現れることが全体性に必要なパーツや現象である可能性は高い。全体性が向かう方向は誰にも知覚できないが、現象をよく観察すると個人を生かすために必要なことはいくつかわかってくる。
0304純正
・人は何も努力しなくても、特に考えずに漫然と生きていてもそれ自体が全体性に組み込まれている。その証拠に歴史上どの世界を切り取ってもそういう圧倒的多数の人に占められている。個々人を見ればドラマもあるかもしれないが、全体性や人類から見るとどこにでもあるような大したことのないできごとだ。
恋愛をし結婚をし、子供をもうける。仕事をし収穫量を上げ飢えの不安をなくす。そのためにものすごく貢献する人もいるし、漫然と決まったことしかしない人もいる。そのどちらもが「特に考えず漫然と生きている」ということになる。
全体性を運ぶメカニズム、パーツとしてうまく機能している。このことを「純性」と呼ぶ。
0305純度
・純性とは全体性の役割を全うすることを指し、純度が高いというのは全体性の役割をそのまま果たす確率が高いことをいう。当然全体性の中には純正の高いものと低いものが混在していて、それを許すような作りになっている。むしろ「そうでなくてはならない」という可能性がある。
純度は変えにくい。革新的なものを足止め的なものに変えることはほぼできないし、幸せで平和な生活を守る全体性の役割を性格上も能力上も割り当てられているものが全てを捨てて冒険に出るとは思えない。
全体性に反逆していてもそういう純性である可能性がある。今はまだないものをこの世に生み出してもそれが全体性の役割を果たしているだけかもしれない。そういう意味で純度は誰もが100%に近い。
0306純度を変える
・もし個人に、全体性の枠組みに対する可能性があるのだとしたら純度の%を自在に扱えることになることだ。人は必要があればこの%を変えられる。例えば今まで平和で落ち着いた暮らしをしていても、災害で全てを失い飢えるような状況になったとする。そのときに安定的な純性ではなく、サバイバルな自分が出てくることがある。自然放棄を取り戻すことがある。ただ、何かあったときは多かれ少なかれ誰でも純性の%を変えることができる。
何もない時に純度を変えるようになる。このイレギュラーも全体性に組み込まれているのかもしれないが、それでも個人の全体性支配へのひとつのくさびになる。
0307人類に関わる者
・人間に大きく関わるものがいる。例えばどの国にも昔から「神様」という概念があり「いる」とされている。と、されているからには、何かその生物が干渉している関わりがあるはずだ。また古代から犬を飼う人間は多い。人間がいなければ犬はこんなに生まれていないはずだ。犬も人類の方向に何かの形で関わっている可能性がある。
神様には神様の、犬には犬の全体性があり人間のそれとは違う。それを探り知ることができれば、個人は人類の全体性からひとつ抜けた可能性を打ち出すことができるかもしれない。できないかもしれない。
0308別の全体性へ影響する
・全体性へ違う布石が打てる可能性のひとつとして、神様の全体性、犬の全体性に何か影響を与える一手を打つ。これは超越才能を使わなければできない。個人がいくら可能性に挑戦してもそれ自体が想定内である可能性が高い。なら違う全体に別の影響を与える。
人類に関係のある別の全体性に何かの手を打つことは、その全体性に組み込まれているかもしれないし組み込まれていないかもしれない。仮に組み込まれていないのなら、別の全体性に与えた影響は人類の全体性にどんな影響を与えるのか?
人個人の可能性にチャレンジするのなら、これが最も大きな一手ではないか?と思っている。
0309純正ではない可能性
・オレは人、それも個人の可能性を考えてしまう。もっと高く羽ばたけるのではないか?と思ってしまう。それ自体全体性のプログラム通りかもしれない。だからそのプログラムを超えることが最大の「可能性」ではないか?と思ってしまう。
だが実際には、全体性の速度を早め、もっとスムーズに進めることをやっているのだと思う。少なくとも自分と自分の周囲にはそれをやっている。結局は枠組みの中のできごとなのか。それがいいとも悪いとも言わないが、そうやって生きていき、子孫も組み込まれ、転生してもまた別の役割でそれをやるのか?
そのことに不満があるわけではないが、純性ではない生き方はないものか?と探ってしまう。
0310虚しさ
・全体性があり純性があるということは、ある意味相応以上の努力をしなくても、自分を変えなくても別に構わないということだ。実際に多くの人は自分の今まで培ってきた純性を頑なに変えない。人を変えるのは難しい。
人と心を通じあわせ、理解し合おうと思ったときに変わらないことを優先されると虚しくなる。この虚しさを感じることが個人の原動力を奪うとしても、それ自体が全体性に必要だからだと見ることもできる。
真に虚しいのはつまり、全体性には抗えず、純性というプログラムに沿って生命と種が動いているのではないか?という現実的な疑問にある。人はパーツなのか。パーツとは感じないように巧みに組まれた枠組みの中の部分なのか。そう考えたときにオレは一番虚しさを感じる