熱中時代! 社長編 -64ページ目

私たちの生き方を変えるべきだ!

熱中時代! 社長編-震災映像
3.11から、時が経ちテレビで映像を見ることが出来たときに、日本国民はだれもが何かをしなければならないと思ったと思います。
熱中時代! 社長編-震災映像
被災地へ行き、「栃木県にお越し下さい」と何故に地元政治家は言わなかったか。
熱中時代! 社長編-震災映像
避難所に担ぎ込まれた86歳になるおばあさんが言ったそうです。
「息子夫婦は、おにぎりを3つ枕元に置き、『申し訳ないが避難する』と出て行った」
寝たきりです。断腸の思いでしょう。故郷を捨てざるを得ない人、離れられな人。それぞれが不条理を噛みしめていらしゃる。
熱中時代! 社長編-震災映像
地方選挙「災害に強い街をつくる」と主張した方が多かった。
熱中時代! 社長編-震災映像
それは、違う。今問われていることは、都市文明の在り方。エネルギーを使いまくること。原発に頼ること。変えるべきは、日本人の生き方です。地球との共生。人間が地球に住まわせて頂いているという自覚から再出発するべきでしょう。

被害の全容が見えない。震災は終わっていない。
災害は日本全国のどこでも起こり得る。有効な通信手段は、移動方法は、食は、水は。
甚大な被害を無にしない為にも、一人一人が意識を強くして「明日」に備えたいですね。
熱中時代! 社長編-ミル・マスカラス
人は周りの人に助けられて生きています。その借り勘定を生きているうちに他の人に返していかなければなりません。それが人生というものなのだと思います。

電話
今回の震災では、被災地だけでなく、大きな被害を受けなかった首都圏でも、携帯電話網が麻痺をしました。携帯電話は「電話」ではなかった。
1.携帯電話の基地が直接被害を受けた。
2.携帯電話事業者が発信規制をかけた。
3.通話やメールが短時間に集中し、基地局の処理能力をオーバーしてしまった。
固定電話との併用も必要とわかった。
通信手段が多い方が良いと実感した災害体験であった。
※お年寄り(固定電話のみ)や若者(携帯電話のみ)
インターネット
携帯と比べ今回の震災では、ツイッター、フェイスブックが存在感を示しました。
ソシャルメディアを使い安否確認や災害復旧活動を呼び掛けたのに感心した。
逆に、デマや誤情報も多かったことも間違いない。

テレビ・ラジオ
ラジオの情報は、ありがたかった。テレビの映像には説得力があります。
しかし、ラジオの木目細かい情報発信は、不安の中でどんなに心強いか改めてラジオの力を知らされました。

電気・エネルギー
停電で電気やエネルギーのあり方を実感したのではないでしょうか。
計画停電、ガソリンスタンドに4時間待ちして10リットルの給油。これから、必ず公共料金の値上げが起きます。行政は、値上げより如何に自然と共に歩みエネルギーの大量消費をさせないかを考えるべきだと思います。

食料・水
交通網の遮断が、流通を止めて食糧不足、水不足が起きました。
震災⇒津波⇒放射能漏れ。
人命、生活基盤の喪失。放射能の汚染に、移住と悪い連鎖反応が起きました。
不安という減少で、店頭のものは買い占める人により売切れが相次ぎました。

鉄道、移動
3.11では、帰宅難民も発生した。
こんなに移動手段の断絶は、不便だと感じたことは無いだろう。
知人は、会社から自宅まで闇の中から6時間をかけて帰宅した。

メンタルケア
テレビの画像は、説得力があると言いました。
逆に見続けて、不安を憶えたひともいたことでしょう。
計画停電で闇の中、懐中電灯だけの灯りで過ごした夜を嫌だと思ったひともいるだろう。
そして、未だに続く余震。
怖いだろう。
子どもや女性は感受性が強く脳がストレスを受けているのではないでしょうか。
自分の置かれた状態を客観的に受入れることが大切です。

ボランティア・支援
素人の参加は迷惑。物資支援も細かな配慮が必要。

行かないこともボランティア。
当たり前と思っていたこと、当たり前と思ってはいけなかったことに感謝することで人と人は繋がり、縁が生まれます。

心の震えは、まだ止まらない。
だが、私たちは、生き抜いてゆく、今までと違う「なにがしかの選択と決断」が求められています。
私たちは、喪失の悲しみとともに生きてゆきます。

主体的市民

会社設立準備 6

手づくり工房「銀屋」

友人というより、人生の先輩を紹介させていただきます。
その方は、五賀幹正先生です。先輩PTA会長の一人でもあります。

私が地元小学校のPTA会長をしていた時に、歓送迎会に自治会役員としてお越しくださり、私の挨拶が気に入った「PTAを変えてください!」と力強い握手を交わして以来の関係です。当時のPTAへの姿勢は、骨のある取組と伺いました。

五賀先生が営む銀屋。それは、眩い輝きを放つシルバー製品の創作販売をするお店です。
熱中時代! 社長編-銀屋 製作
溶かした銀、金、プラチナなどの金属を“形”に流します。

銀は、人間が使用した最初の金属のひとつです。
落ちついた柔らかな白い光沢が特徴ですが、すべての金属のなかで(水銀とともに)もっとも可視光線の反射率が高く(反射率は90%、赤外線は98%を反射します)、研磨することによってプラチナよりも強い輝きを出すことができます。

銀の元素記号「Ag」は、ラテン語で「白い輝き」を意味する「argentum」が語源です。
また、展延性に富みあらゆる金属のうち熱や電気の伝導率が最大です。
銀は、自然界に広く分布していますが、他の金属に比べれば総量は、きわめて少ないものです。
また、自然に存在する多くの鉱物中に含まれている点が、金とは異るそうです。
$熱中時代! 社長編-銀屋 OWNER
手づくり工房 銀屋  代表 五賀幹正先生
熱中時代! 社長編-銀屋 製品
デザイン制作教室もお楽しめます。
1.ワックス制作教室
2.希望の金属での制作
多種多様なリング・ペンダントや2人でつくる結婚リングなどに挑戦してみては如何でしょうか。
価格は、オリジナルでありながら驚く程の安さです。
詳細は、公式ホームページ⇒ 手づくり工房 銀屋 でご覧ください。
熱中時代! 社長編-銀屋 工房
所在地:〒327-0313 佐野市吉水町1244
TEL:0283-62-3332 FAX:0283-62-5820

【銀屋の経歴】
1975年 銀屋設立、一般アクセサリーの卸。
1979年 直営店、栃木市銀座通り商店街に【ベルヴィ】を出店
1980年 銀製品の創作をはじめる、合わせて一般アクセサリーの卸
1986年 取引先にて、銀の創作教室を始める。(パルコ、各種ショッピングセンター)
1988年 一般アクセサリーの一部を韓国から輸入を始める。
1990年 お台場でのギフトショウに出店が始まる、取引件数100を超える。
1992年 インターネットの開始、ロストワックスによるオリジナル作品のオーダーを受ける。
    銀、18金、プラチナを素材とした作品です。金、プラチナも増え始まる
2006年 銀、18金、プラチナの創作作品に主力をおく
2010年 二人で作る結婚指輪をはじめとして、手作りアクセサリー教室を始める。

五賀先生の「夢」は、30年以上の創作活動をしてきた証に、美術館のような作品を展示できればと考えているようです。その「夢」に一歩近づければと願います。そして、今回、下記の内容で個展を開催するようです。
$熱中時代! 社長編-佐野市文化会館
手づくり工房「銀屋」代表 五賀幹正先生の個展の案内
~銀と共に歩む~
期間:平成23年06月18日(土)~19日(日)
場所:佐野市文化会館 【会場】 展示室A
   〒327-0831 栃木県佐野市浅沼町508番地5
電話:0283-24-7211
FAX:0283-24-8447
【開演】 18日10:30 19日10:30  
【終演】 18日17:00 19日16:00  
【入場料等】 一般無料
是非、多くの方が足を運んでいただきたいと思います。
銀屋の歴史は、五賀先生の魂の歴史。
風貌からのイメージと違い優しく、礼儀正しい五賀先生と個展会場で少しだけ、会話ができれば作品への思いが見えて来る。そう私は思います。

「NEVER GIVE UP」いい作品だ!いい言葉だ!
$熱中時代! 社長編-NEVER GIVE UP
決してあきらめないと言う気持ちをこめた作品のペンダント。
$熱中時代! 社長編-NEVER GIVE UP
NEVER GIVE UPの裏側です。3.1cm 14.8g
文字、作品ナンバー、五賀先生のサイン全て手彫りです。
$熱中時代! 社長編-ウィンストン・チャーチル
この有名なウィンストン・チャーチルの写真が好きです。

NEVER GIVE UP

英国のウィンストン・チャーチル元首相が亡くなる少し前、彼が英国のハーロー校の卒業式でスピーチをした内容が好きです。
ウィンストン・チャーチル、第二次世界大戦のときナチス・ドイツから英国を救った英雄です。
年老いた、かつての英国首相は、山高帽をかぶり静かに千人もの学生が固唾を呑んで待つ講堂にゆっくりと入り、脇のテーブルに帽子と分厚いコートを置き、しばらくじっと若者たちの顔を見ていた。

そして、少し低い声で、Never give upと言ったのです。

チャーチルのスピーチは60分を予定されていたのです。
学生たちは次に元首相がどんな言葉を語るのかチャーチルを見つめ、しばらくして、チャーチルは学生たちの顔をみて、先ほどよりも少し声を上げて

Never give up と繰り返しました。

そして、また、しばらく学生たちを鋭いまなざしで見つめると、今度はほとんど叫ぶような声で Never give up と言い、静かに帽子とコートを手に取り、ゆっくりとした足取りで講堂を後にしたのです。

学生たちは思った。彼が語るはずだった60分のスピーチは、祖国英国を救った英雄が残した僅か三つの言葉 Never give up で十分であり、何も他に望むものは無いと悟ったとき、学生たちはチャーチルの姿が消えるまで万雷の拍手を送ったのです。

決してあきらめない!

第一回 公運委会 文化部会