SEというお仕事~参考文献『「残業100時間」攻防の茶番 労働生産性にまつわる誤解とは?』 | 宇宙世紀を生き抜く知恵

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救世主は現れないし恐怖の大王も降って来ない。
人類を救うのも破滅に導くのも、それは人間だ。

ちなみに、有給の取得は労働者の権利であり、会社側はそれを拒否できません。

その取得に理由は不用です。

ITソフトウエア業界は典型的な労働集約産業です。

業界外の方には想像できないと思いますが。

コンピューターで仕事が合理化されるのは「コンピューターを使って」仕事をする分野であり、「コンピューターを動かす」仕事の分野は、未だにそのプログラムの1行1行を手作業で書いているという現実。

プログラムの「再利用」や「自動生成」は遅々として進まず。

特に銀行・証券・保険の大規模システムは、毎年の様に発生する法律の改正に対応して長年の間、変更に変更を重ねてまして。

もはや人間の手作業でしか修正できませんわ。

再構築が進まない理由は、最新の技術で作り直すより人間業のメンテナンスの方が費用が安い、つまり人件費が安い事にあります。

給与水準が上がれば人件費が増大し、必然的に生産性向上へのインセンティブが高まるのですが。

結局のところ「人手不足は時間外労働でカバーしろ」という経営に問題があるのであって、その解決の為の最も手っ取り早い手段は最低賃金の増額だと思います。

国民全体の給与水準が上がれば生産性も向上するでしょう。

対応策として「外国人労働者を安い賃金で働かせる」という手段がありますが、後々社会に禍根を残します。

「新たな血」を入れる必要はあるとは思いますがね。

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NEWSWEEK日本版

『「残業100時間」攻防の茶番、労働生産性にまつわる誤解とは?』

加谷珪一
2017年03月21日(火)17時33分
残業時間の上限規制に関する労使交渉がひとまず決着したが、これでは状況は改善されない。長時間残業の根本的な原因のひとつは日本の低い労働生産性だが、単純に労働時間を減らせば済む問題ではない。

働き方改革の目玉のひとつとなっていた残業時間の上限規制について、最終的に「月100時間未満」とすることで労使の合意が成立した。本来であれば、長時間労働はどこまで認められるべきなのか、幅広い議論が必要なはずだったが、政府は具体的な基準作りを労使交渉に丸投げ。労使は「100時間」なのか「100時間未満」なのかをめぐって交渉を続けるという不毛な結果に終わった。

「労働時間を減らすと企業の利益が減る」という考え
日本では労働基準法などで法定労働時間が決められており、原則として1日8時間、週40時間を超えて仕事をさせることはできない。しかし、この法体系には抜け穴があり、労働者と企業が協定を結んだ場合に限り、法定労働時間を超えて働かせることができた。これがいわゆる36協定(サブロク協定)である。

電通の過労自殺事件などをきっかけに、協定の存在が無制限残業を強いる原因になっているとの批判が高まり、政府は上限見直しに着手することになった。だが、労働時間に対する経営側と労働側の隔たりは大きく交渉は難航した。

経営側は繁忙期については月100時間の残業を認めるよう強く要望したが、労働側は「論外だ」として強く反発していた。その理由は、日本では月100時間(もしくは2~6カ月の平均月80時間)の残業が過労死の認定ラインに設定されているからである。

過労死の認定ラインを100時間に設定しておきながら、労働法制では100時間の残業を認めるということでは、法体系として整合性が取れなくなってしまう。だが100時間という数字について経営側は譲らず、最後は「以内」か「未満」かをめぐるメンツの争いとなってしまった。結局、安倍首相が労働側の顔を立てる形で「裁定」を下し、茶番劇は終了した。

最終的に100時間「未満」になったものの、100時間という数字が目安になることは間違いなく、従来と比較して状況が大きく改善されることはないだろう。

【参考記事】このままでは日本の長時間労働はなくならない

日本の職場が慢性的な長時間労働になっており、改善の必要があることは多くの人が認識している。だが現実に長時間残業はなくならず、今回の交渉でも画期的な決断は行われなかった。この問題を解決できない最大の理由は、日本では労働時間を減らすと企業の利益が減ってしまうと多くの人(特に経営側)が考えているからである。そして、この問題と密接に関係しているのが労働生産性である。

日本の生産性の最大の問題は労働時間ではなく付加価値
長時間残業がなくならない根本的な原因のひとつが、日本の低い労働生産性である。労働経済白書によると日本の実質労働生産性は先進諸国の中では突出して低く38.2ドルしかなった。これは米国(59.1ドル)やドイツ(60.2ドル)の3分の2である。

生産性の低さが長時間労働の元凶という主張に対しては、労働時間が長いのだから生産性が低くなるのは当然であるといった批判の声も聞かれる。労働生産性は付加価値を総労働時間で割って求められるので、分母である総労働時間が長ければ生産性が低くなるというのは確かにその通りである。

では労働時間が長いのだから、単純に労働時間を減らせばよいのかというとそうはならない。
企業が生み出す付加価値が労働時間と無関係のものであれば、時間の削減はそのまま生産性の向上につながってくる。だが、企業の付加価値が労働時間に依存している(つまりビジネスが労働集約的である)場合にはそうはいかない。労働時間を減らしてしまうと、企業の生産もその分だけ減少してしまうからだ。

つまり生産性の式の分母(労働時間)を減らすと分子(付加価値)も減ってしまい、最終的に生産性の数字は変わらず、付加価値の絶対値だけが減少するということが十分にあり得るのだ。もっと具体的に言えば、労働時間は減ったものの、給料も大幅に低下してしまうことになる。

長時間労働の原因が「生産性」なのはその通りなのだが、最大の問題は、分母(労働時間)がムダに長いのではなく、分子である付加価値が小さいことにある。実際、労働経済白書においても、生産性を上昇させる要因のうち多くは、時間要因ではなく付加価値要因であると結論付けている。

要するに日本企業は、そもそも儲からないビジネスに取り組んでおり、その結果として、社員は長時間残業を強いられているに過ぎない。逆に言えば企業が高い付加価値を生み出していれば、短時間労働でも同じ給料を保証できる。

長時間残業が続く本当の理由は「経営」の問題
 これまで長年にわたって長時間労働の問題が指摘されていながら、改善のきざしが全く見えなかったのは、日本企業のビジネスモデルが依然として労働集約的であり、残業を減らすと売上高や利益が減ってしまうという「不都合な真実」を、多くの人が無意識的に理解していたからに他ならない。

長時間残業が付加価値の低さから来るものだとすると、状況を改善するためには経営を変える必要がある。製造業の分野ではビジネス・ドメイン(事業を展開する領域)の再定義が必須となるだろう。

2015年版通商白書では、日本の製造業はドイツや米国と比べて高いシェアの品目を持っているものの、市場が拡大している品目のシェアはドイツや米国と比べると低いという分析結果が出ている。同様に日本企業は、数量が増加した品目での単価上昇が鈍いという特徴についても指摘されている。伸びない市場で安売りしている状況では大きな利益が得られないのは当然である。

非製造業を加えた全産業分野ではIT化の遅れが指摘されている。日本は主要国の中でIT資産装備率の上昇ペースがもっとも遅く、さらに人的資本投資の増加率については何とマイナス10%となっている。パソコンの普及率も先進諸外国と比較するとかなり低く、国全体としてビジネスのIT化に消極的だ。

日本ではせっかくシステムを導入しても、わざわざ高いコストをかけて、従来から続くムダの多い業務プロセスをそのままシステムに再現してしまうケースが後を絶たない。時間はかかるが、こうしたところから変えていないと、長時間残業をなくすことは難しそうである。

もっとも、日本企業のビジネスモデルが変われば、当然、労働者に対しては新しいスキルが要求されることになり、それに伴って雇用の流動化も進む。究極的には、長時間労働を伴う雇用の安定を取るのか、雇用は不安定でも豊かな生活を取るのかという二者択一となることを忘れてはならない。