粘りが足りない | 長井春美の婚活ブログ

粘りが足りない

 最近の若い人たちに何が足りないのかなと思っていて、あるときふと、それは〈粘り〉なんだと気づきました。

 と、ここまで書いて、それは何も若い人たちにばかりいえることではない。地下鉄の車内で、我慢できずに騒いでいるのは、中年過ぎた老年というべき人が多いし、おばさんも大概(いずれも、よい人はよい、というのは当然だけど)。

 それに、〈粘り〉が過ぎると、相手によっては、セクシャルハラスメントといわれる恐れもある。若い人たちはそれはそれで難しい時代を生きているのでしょう。

 といいながら、こと結婚に関しては、あと一粘りが足りないで、ことが進まないケースというのを最近はとくに見かけます。もうひと言、もうひとつの動き、それが足りない。またそれを受ける側も、ここは堪えてもう一踏ん張りなのに、そこが足りない。足りないづくしです。

 何も、結婚前のことに限ったことではない。してからも、いまこそどちらかが我慢のしどきであると思うのに、あっさりと離婚してしまう。それは大きな波をくぐり抜けたあとの喜びをも、あっさりと捨ててしまうことにもなりかねません。もちろん、事由にもよることは、いうまでもないのだけど。

 〈粘り〉は、踏ん張り。いまは堪えるときかなあ、という〈間〉が、すごく大切だなと思います。