糸井重里の旅のチカラ、アラン島を見た。再放送かな?憧れの地、アラン島と伝統のセーターの編み手たちに見入ってしまった。まさに荒涼とした土地。外部のものからみたらmythanthropists' heavenと呼んでしまいそうな究極のシンプルさ。
 アランセーターの歴史、その反映と生き残りの難しさに自分の短い歴史を重ねてみる。50年代、アランセーターはアメリカでもてはやされたとのこと。育ちの良さそうな少年たちのプレップスタイル?の写真。趣味人の叔父が着ていたのを思い出す。子どもの頃、手作りは明らかに「欲しいものを手に入れる」ための重要な手段だったし、学生時代は今の夫に毎年、セーター編んでたもの。あまりに安く簡単に、手入れも簡単なフリースが出てきて、少なくなる自分の時間を編み物に費やすのが、ばかばかしくなる前までは。
 フリースとファストファッションの台頭で生き残りは容易ではない。しかし、編むという行為そのものの意味、究極の一点モノ、着るものが感じる「大事にされている感じ」。ありきたりかも知れないけど、こうしたハンドメイドの魔法が生き残っていることに感動して、益々アラン島に行きたくなった。
 糸井さんが、編み物を通して被災地支援してること、手編みを放棄することによって生き残るメーカーとほとんどそれしか生き残る方法がないマーケットにある種の憤りを感じること、今も手編みを続けるサバイバーの話に涙していたのは、ワタシの中では意外でした。高級な物質主義者みたいに今まで思ってて、ごめんなさい。いや、そうなのかもしれないけど、高級な物質主義者は社会のつらい部分と切り離されてるわけではないんだ、むしろ、物という観点で悩みを共有してるんだな、と思いました。
 う~ん、日常から切り離されることがアラン島への憧れの大きな理由だったけど、何かと繋がるために、やっぱりアラン島に行きたくなった!


Android携帯からの投稿