たくさん詰め込んで、ぜんぶすてる
ふるい友達たちと馬鹿みたいに酒を飲み、二日酔いのまま合同説明会へ。
一流企業というものがニコニコ手招き。その隙間隙間、内定者や参加者の間には、ふるい友達、予備校で三回くらい眼があったやつ、高校の同窓生、バイト先の同僚、元カノなんかがいる。
当然のように、みんなすこし戸惑っている。合同説明会で居心地がいいなんて感じるやつは、ジュラ紀にタイムスリップしても屁をこいて眠るだろう。就職活動なんて嘘ばかり、そんなことを言って何かが解決するわけじゃない。
口当たりが良すぎる素麺感覚な説明を聞きながら、何とかリアルに、出来るだけリアルに、そこにいる自分を想像してみようとする。「グローバル!」と書かれた紙を掲げて満面の笑みで写真に入ることが僕に出来るだろうか。
まぁいい。要は慣れだろう。そんな風に問題を棚にあげて、がんがんメシを食う。
銭湯からあがると女の友達から電話があって、ちょっとしたドラッグ系のうんちゃらの誘いを受ける。断る。もちろん断ったって疎遠になるわけではない。しかしそれでも、僕が就職したら、おそらくそういうお誘いはもう来なくなるだろう。
そうした可能性を一つずつ握りつぶし、あいまいでぶよぶよした世界がよりクリアになっていくんだろう。
もう十二月
まーらいおん
朝八時に京都駅へ向かい、待つ。あまり快晴でなく、肌を撫でる風からは夏の匂いがしない。
来る。喫茶店でエスプレッソとアイスミルクティーを飲み、電車に乗る。近鉄電車の特急に乗って伊勢へ行く。
伊賀を超えたあたりから太陽が指す。夏至に近い陽光がまぶしく車内へ届く。
ビールを飲み、話をしながら伊勢市駅へ着く。伊勢神宮へ。
外宮を歩く。
欝蒼としげる木々の新緑から沸き立つ色気と、大木の陰影からにじみ出る神聖さが入り混じった空間を歩く。鳥居をくぐる。亡くなった両祖父のことを思い出す。心が痛む。
歩きにくそうなので、ところどころ手を取る。しっかり礼拝する。しかし私は何も願わない。
馬宿のほうから、駐車場に出る。
バスに乗って内宮のあたりへ。おかげ横丁をぷらぷらする。
てこね寿司ととろろ飯を頂く。煙管を吸ってみたり、扇子を見立てたりする。
神宮の写真展、ばななの叩き売りを鑑賞する。人の波にときどき足が取られる。赤福を頂く。レッドハピネス。
内宮へ。砂利道の足音に切なさを感じる。巨大に破裂する神聖さ。じゃぱにーずすたいる。
また参拝する。しかし私は何も願わない。
バスに乗って宇治山田駅へ。電車に乗って駅に降り、バス停からバスに乗る。旅館に電話する。
海が見えた。
バスを降りると船が迎えに来ているので船に乗って離島の旅館へ向かう。
海の上を船が走る。
離島に着くと女将風女性が迎えに。隠れ家というか秘密基地といった佇まいのちいさな旅館。
他にはおっさんが六人ほどいるようだ。ちょっとぼろかったかな、と心配する。私はどんな宿でも構わない。
ひとまず風呂に一緒に入る。私が髪を洗い、身体を洗い、歯を磨く間になんとか化粧を落とすだけ。
風呂を出ると向かいの浴場からおっさんが全裸で出てくる。「なんなんだよ」と誰にともなく突っ込む。私が。
部屋では食事の準備が出来ている。食べる。とても沢山の刺身、沢山の鮮魚料理。美味しい。酒も進む。
普段小食なあっちも、いつもより食べていて嬉しく思う。喜んでいる顔を見るのは嬉しい。当たり前だけど。
店の話やおっさんたちの話をして、部屋でくつろぐ。どうやらコンパニオンを呼んでいるらしく、盛り上がった声が聞こえてくる。トランプをして遊ぶ。つまらない手品をいくつかする。こんなつまらないことで喜んでもらえて非常に切ない気分になる。こんなつまらない自分といて楽しそうにしてくれて、非常にありがたい気分になる。
思えば、昔から、普通に振舞うことが出来なかった。自信がなかったし、いじめられるのが怖かったから、面白いこと面白いことと考えてきた。そうすればみんな笑ってくれるし、いじめられる心配もない。八歳のとき、ブランコから落ちて下の水溜りにはまったとき、気付いた。
そのうち、面白いと言われるようになると、普通に振舞える奴も、いじめられる奴も嫌いになった。
自信に溢れた奴も、周囲のことを考えない奴も嫌だった。
出来るだけ周囲に合わせようとしてきた。その一方で、つまらないと思われるのも怖かった。
どんな集団にいても、その集団の一つ面白いことをしよう、言おうとしてきた。
「本当の自分は」なんて語る人間を軽蔑してきた。少なくても、僕の「本当の自分」なんてどうでもよかった。
そうするとどんな集団にいても、普通に振舞えなくなっていた。最近は中学・高校の同級生にしたって、「東大寺用」の発言をしていた。
たぶん、誰でもそうなんだろう。誰だって、相手によって言葉を選ぶ。僕はそれを意識し過ぎているだけだろう。
実家でさえそう。
相手が自分をどう見てるか、と常に意識していると、実家に一番いるのがつらい。
だから、自分が、何の意識もせず振舞って、つまらない手品なんかして、何の意識もしていなかったことに気付き、ごめん、退屈さして、と謝ると、全然退屈じゃない、なんて笑われてしまったら、それだけで泣きそうになってしまう。たぶん、僕がしてもらってること以上のことを、僕は出来ないだろう、と思ってしまう。
コンパニオンたちが帰るのが聞こえる。寝る。
6時に起きるはずが起きたら8時。
朝ごはんを沢山頂く。もいちど風呂に入って出立。鳥羽水族館へ行き、好きなピラルクやクラゲ、深海魚、カエルを飽きるほど見る。笑って付き合ってくれる。
鳥羽の食事どころで昼食を取って帰路へ。ビールを飲む。
旅のせいで少しセンチメンタルになる。向こうはずっと眠っていたが、一度目を覚ましたので、楽しかった?と聞くと、楽しかったと言ってくれる。欲しそうなピアスを買ってあげることも出来なかったのに。と思い、また泣きそうになる。ださい。
20083-4
現実的に言ってぎゅるぎゅるした毎日、嘘みたいな酒を口に入れて胃、腸へと通過させて見る夢は果てしなく幻の手触り、現実的な夢が見当たらない。
もっとしっかりしなくちゃいけない、しっかり、しっかり、しっかり。
人生という言葉の予想外の重さ、僕をベッドに押し付ける。しかしそれは重さのせいじゃない、僕の足腰が天国の雲に乗っているから。それは天国の一番底。甘くてどろろとした灰色の雲。
みんなどこに立っているのだろう。
親の金で借りているマンションの一室で、とりあえず眺める青空は今まで見たことがないような色をしている。
何者かになりたい。みんなに誇れるような肩書きがほしい。
社長にも、平社員にも、学者にも、主婦にも、詩人にも、マスコミにも、2ちゃんねらーにも、親にも、友達にも、好きな人にも、どこかで眠る子供にも
僕は誰も嫌いになれない。
でも、それは無理だろう。
何者かになることは、誰かに嫌われる覚悟を背負うことだろうから。だから僕は何者にもなりたくない。
だけど僕は何者かになりたい。
椅子取りゲームに参加しないで、生きていくことは出来ないから。
一人ベッドで眠るとき、祖父の亡骸を思い出す。何年か後、きっとこんな風に僕は死ぬ。跡形もなく吹き飛ぶ。
僕はアルゼンチンに住んでいるかも知れないし、川村ゆきえと結婚しているかも知れない。
かも知れないってのはとても素敵だ。
それまでの間どうするか、これから決めなくてはいけない。そのとききっと、今周囲にいる人は誰もいないだろう。
誰も僕の死を看取らないだろう。誰も僕の死に気づかないだろう。僕だって誰の死も知らないだろう。
そう思うと、全員と酒を飲み、全員とセックスしたい気持になる。僕はわりかしみんな愛しい。
でも、それは最低なことだろうし、みんな大切な人や仲間がいるから許されない。
そして誰の死も知らないままみんな生きていく。本当の友達や恋人だけお土産にして大学を去る。
・・・
たぶん、まだ生まれてもいないどこかの子供が成長して、友達をつくってセックスして、そして進路に看護の道を選び、専門学校に行き、友達をつくってセックスして、ある病院に配属されて、ある人間の看護を担当する。
そしてベッドで眠る僕の世話をしてくれる。そして僕の死を看取る。
「番匠さん、ご永眠です」
その言葉を僕は聞けない。
でもその言葉は、常に僕の背後にあって、その看護士が囁くまであと十秒もない気がする。
だけど、、、、、