海鮮小屋の厠戦争のブログ -2ページ目

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やっぱり私は自分のことを勘違いしていたのだろう。

自分は特別、みたいな考え方している人間を心底嫌ってきたが、それは結局同族嫌悪に過ぎなかった。

本音では、自分こそはきっと面白いことが出来る人間だと思っていたのだろう。

今思えば下らないプライドである。

そして、そのプライドを捨ててしまったらどうすればいいかもわからないくらい下らない人間だった。

今日、会社の面接を部屋で待っている間、隣に座る学生に尋ねられた。その会社は、自分を表現するものを一つ持って来いとの指令を出しており、何を持ってきているか質問されたのだ。彼はグローブ。今朝も試合してきた帰りだったのこと。

私は昆布を出した。彼は噴出すように笑った。

「凄い発想だ」「今聞いとかなきゃ受けるところだった」

彼の隣に座った人間、彼女はバレーボールを持参していた、も私の発想を絶賛した。

「へへへ」

私は笑った。な。俺面白い。並じゃねえ。


結局私の昆布は面接官に黙殺された。完全無視。

バレーボールにすごく食いついた。それは金色に輝き、チームメイトたちの応援メッセージが記されていた。

思えばどこで道を踏み違えたのであろうか。もちろん、まっすぐな道が正しい道だとは思わないが、他の道を探すことも出来ない私としては、つい考えてしまう。

面接を待つ間、面接の司令官のような人間が言った。

「みなさんに待って頂く間、音楽を聴いてもらおうと思うのですが、リクエストはありますか」

場内爆笑。

「グリーン、チャットモンチー、エグザイルがあります」

そこで私は気付くべきであった。

人の眼を見て話せないこと。姿勢が悪いこと。うまく話せないこと。すぐ疑うこと。

それが何だ?

幼い私は思っていた。

それでも私には大切な友人がいたし、好きだと言ってくれる女性だっていた。

私はそんな人たちに聞いてみたかった。もし、私が明るくはきはきしていても、仲良くしてくれていたのだろか。

思えば、こんな言い方失礼だろうが、仲良くしてくれた友人や女の子はみんな、心にどこか屈折したところがある人ばかりだった。どちらかといえば、生き辛い、という人間が多かった。

絶望したわけではない。少し弱っているだけだろう。

嫌うんだったら嫌えばいい。私が好きな人は私が好きなだけで、その人からの見返りを求めちゃいけない。

そんな姿勢で生きていきたい。


本当の私をわかってくれない、なんて言い訳だけはしたくない。

でも、みんなつらいんだ、なんて慰めに浸るのも嫌だ。

明日の面接がだめだったら、留年になってしまう。ただそれだけの話。

攻めの姿勢攻めの姿勢。

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ずっと欝、食事もままならないので実家へ帰ったり。


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昼ごろ目覚める。泡般若を呑みながらDのエントリーを記す。同時にGYOKAI研究をうっくっくと。Hへ電話。OB訪問のAPOを。一次面接の結果如何でキャンセルもあり得るが、俄然TOKYOで約束する。読書、体操、研究。

夜に発狂して踊る。或いはてってーてきにフザケル。桂米朝落語を音読する。


昼ごろ起きる。泡般若を飲みながら自己PRと志望動機を音読する。音に出して読む。面接のマナーを再確認して、Sと朝まで遊ぶ。元気そうでよかった。しかしいろいろと不安。暗い話ばかり。絶望的な話ばかり。未来は真っ暗だから、自分で明るくするしかない。だから自棄になっちゃいけない。自棄にだけはなっちゃいけない。頑張ってください。


朝起きる。緊張はしない。O阪でHの面接。処女面接。出来はよくわからない。いずれにせよ終了後テンションがあがる。手ごたえらしきものはあったと思い込む。単細胞である。Kと飯を食う。元気そうでよかった。暗い話ばかり。絶望的な話ばかり。Kは大丈夫だろう、とたぶん周囲には思われているが、案外そんな奴でもない。頑張ってください。KYOTOに戻り、先輩二人、とそのお連れと飲む。愛しいを昔日本人は哀しい=カナシイと呼んだ話を延々とする。愛はいつでも哀しい。その他メタなシモネタばかり。いい人たち。悲しいくらい。