ひらりんから私たちへのメッセージが書かれてあったそうです。

「心に残る、元気な姿だけを覚えていてほしい」と。

 

2022年11月17日、51歳にて永眠された。

 

こうして、

楽しかった時のことを思い出すのが

供養だと私は思っているんだよ。

 

 

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Canta! Brasil em Toquio / 2016.2.20

 

 

 

 

 

 

2017年3月20日

 

 

 

 

 

 

 

5/21 第4回 音花祭2017




 

 

 

 

 
 
2017年12月

 
 
 
 
 
2018-03-25
 
 
 
 

2018-04-08

 

 

 

 

 
 
 
2018-11-23
 
 

 

 
 

 

 

ただ、ライブがやりたかった、、わけでは、無い。

なーんて、誰が理解できるだろう。

皆で出来るライブを企画した理由。

 

 

 

 

 

私も忙しかったけど、

ひらりんは超売れっ子になり

あちこちのバンドメンバーになり

カンタブラジルでも会わなくなっていた。

 

 

 

ひらりんは、ブラジル音楽だけではなく

JAZZベースも実践でがんばっていました。

 

苦悩していた、、というのが

正しいかな。

 

image

 

 

 

中川さん、藤田さんのジャムセッションに通い勉強していたし

 

 

JAZZバンドでも演奏していた。

 

 

 

 

 

 

2019年。
 

温めていた思いを形にしたライブ。

私のエゴだったかもしれないけど

 

 

ロタリアスで神保町楽屋に出演できたこと。

企画して、良かった。

 

2019-03-03

 

 

ひらりんのレポから

 

リハーサル。ブラジル音楽。7拍子を7人で。「次は7拍子やります」「7拍子の曲は2つありますよ」「曲中に8/8がはいらない方で」。演奏開始。譜面凝視。肩カチンコチン。悶絶。汗ジワリ。独自の疲労がボアノイチ。4時間リハの時間配分は練習(3時間30分)→休憩(15分)→練習(15分)。 

 

 

2019-03-22

「いい演奏をしているのにもったいない」っていつも励ましてくださっていた、

エスペートのママさんの言葉が心にありました。

私も、そう思っていたのです。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
2019年3月を境に、交流は途絶えたが
癌があることは他から聞いていて知っていた。
心臓が悪い事も。
 
 
 
久しぶりに会ったのは
Keikoさんが東京で初めてライブをしたこの時。
代田橋のスタジオ。
 
 
帰り、急に歩けなくなったひらりんと

付き添ってMちゃんが、夏い日差しの中

ひたすらタクシーを待っていた姿。
 
 
 
 
いつの日かまた、一緒に演奏する機会があると思っていたし
作ろうと思ってたよ。
 
 
 
ありがとう、ひらりん。
一緒に音楽出来て
とてもとても楽しかった。
 
 
ひらりんの大好きな音楽
大好きなのに出来なくなっていた音楽
 
 
 
私は出来るんだから
やらなくちゃね
 
 
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2019年9月に、ステージ4の癌を発見。
骨に転移があり。
車いすで生活。
2019年12月にMちゃんと入籍。
2020年の5月ごろ、癌が消失(放射線治療)
岐阜県に転居
容体が悪化
2022年はじめ、東京に戻る。
2022年11月17日、51歳にて永眠。