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グローバルマインド

題名の「グローバルマインド」という名で某メーカーの社員に対してワークショップを実施しました。日本の多くの企業が今後グローバル化する事を必須と掲げていますが、実際どのような備えをするとよいの?ということに大して、マインドを持っていただくという目的です。マインドですので、大きな方向性はありますが、はっきりとコレ!という答えはありません。

中でいくつか議論した内容で興味ふかいものを紹介します。

異文化、というキーワードが出ました。そもそも日本の文化とはなんだろう?文化というものはインタンジブルなもので、かつ多くの要素が複雑にからみ合っています。さらに、普段は意識していないのでなかなか自分たちの文化と問われても何と明確に語れる要素でもないとおもいます。理屈を超えて存在するものかもしれません。日本の外交を見ていると、なにやら下手くそだな!と感じるモノがあります。議論されている対象が理屈や数字のみに執着して、相手国の中に存在する理屈を超えた感情を無視している点です。これは2国間の歴史やこれまでのやりとりを理解していない部分も多くあるでしょう。また、互いの文化的な背景を度外視して理屈と数字のみで歩み寄ろうとしていることも問題でしょう。

労働について。西洋の概念では、そもそも労働は刑罰や懲罰の概念で一種のパニッシュメントとして捉えられていました。アダムとイブのエピソードで楽園を追放された時点から労働が始まった、なる流れはまさにこの事を示しています。一方日本では、古くから働くこと自体が自然と一体になることのように捉えられていました。農業でも鉱業でも自然から得られるものに人間が参加して造物するという概念です。そのために労働に対してある種の喜びを感じるような考え方が古来からありました。

日本人の起源について。大きく2つの捉え方が通説となっています。ひとつは南方、東南アジアやミクロネシア、ポリネシア、ニューギニアなどから移住してきた農耕民族の流れ。ひとつは、北方のユーラシア大陸のモンゴルなどから中国、朝鮮半島を経由してなんかしてきた騎馬民族の流れ。これらが縄文文化(騎馬民族)と弥生文化(農耕民族)の2つの流れを特徴付けています。面白いと感じるのは、デイナミックでエネルギッシュな性格の騎馬民族と静かでシンプルな農耕民族の考え方がミックスされて日本の文化の基礎を構築しているのです。

建物に対する考え方。西洋の建物、例えばパルテノン神殿やローマ神殿などは石で造られており非常に頑丈です。その建物自体のハードが永久の時をこえても存続し続けています。一方日本の神殿は一時的なもので非常に壊れやすいです。木造という特徴も背景にありましょうが、壊れてもまた同じ建物を作れば良いという発想で建築されていました。日本人の考え方としてタンジブルなハードよりも、モデルやシステムと言ったインタンジブルなものでハードは変わっても、ソフトな部分はそこに存在するという発想で永遠に続けることを選んできました。短に日本の家は30年という発想も実は、このような背景と関係があるのかな?と感じたところです。

個か全体か。この考え方の違いは大きいです。日本文化は常に個人ではなく全体の状況やに重きをおいて考えられています。対して西洋では、個の責任にを尊重していることで全体の調和よりも個を尊重する文化がみに染みているのでしょう。

シンメトリーとアシンメトリー。完全と不完全。日本庭園を見るとよくわかります。多くの庭が左側が高く右側が低くなっています。左右対称の構図よりも左右非対称です。海外の宮殿や大きな庭は多くの場合左右対称です。茶の湯の文化に代表されるように、茶碗ひとつでも完成品よりは少し歪な形に美を求めます。日本はもともと不完全なモノに自然の力を感じ、そこに美を意識してきたのです。

公開か非公開か。ここも興味ふかいです。日本のエロスはほとんどの場合、隠されています。これは隠れた部分に奥ゆかしさを感じ、より強い空想のなかに表現できると信じていたのです。一方で、西洋は言うまでもなくオープンですね。

ざっくばらんと議論した内容を書きましたが、異文化を理解する事は何か。決して文化を均一化することではありません。どっちが良いか、どっちが悪いか、白黒を付けるものでもありません。それぞれの違い、特殊性、背景を知り、理解することで初めて互いが理解する立場に立つことができます。そして違いがあることを理解して初めて互いがコミュニケートできるようになるのです。

表面と奥行き

本日、明日の2日間、某メーカーの新入社員研修に参加しています。全部で600名の参加者ですので数回に分けたワークショップです。内容はグローバルマインド。

ポイントは、グローバル化に向けての心構え。クライアントから次の5つについて考えてもらうように事前に打ち合わせしています。

・自分の考えを持つ力
・考えを分かりやすく相手に伝える力
・自分自身を律する力
・日本の文化と異文化の違いを受け入れる力
・語学

議論をしている中で次のようなお話が出てきました。なぜ、継続的に成長する必要があるのか?

以下、早嶋の考えです。若い時は、単純に外見が良ければよいと言う考えもありました。しかし、会社を始め、様々な方々とお話をさせて頂く機会が増えるにつれ考え方がかわります。

ただ単に、理想とする人のまねをしても、表面的な部分を取り入れても、センスや外見は磨かれますが、奥行きが出てきません。

なんの為に自分にインプットしていくのか?それは自分の内面を磨くためかも知れません。特に最近意識していることがあります。経営のインプットに加えて文化的な側面を取り入れることです。

マーケティングは人の心理的な部分が強く作用するので理論に加えて心理学や脳科学、社会学などインプットを行っていました。

ただ、これだけでは自分の内面が磨かれないのです。そのために文学や歴史など、これまであまり興味が無かった分野にも見識を広げることを行っています。美術館に行き絵を見る事、旅行をしてその風土にふれること。

様々な事に触れる。楽しむ。感じる。

このような事もきっと年を重ねるとその人の奥行きにつながっていくのではないでしょうか。

ルーベンス、恐るべし

17世紀のヨーロッパでもっとも活躍した画家のひとりとして知られるルーベンス。フランドルに居を構えながら、イギリスやフランス、スペインといった当時の強国の王侯貴族からの注文に応じて、生涯に3000点を超す作品を残していると言われます。


ルーベンスの絵の特徴は当時の表現とは異なり、動きの多い劇的な構図、人物の激しい動き、華麗な色彩、女神像に見られる豊満な肉体表現など、バロック絵画の特色が十分に発揮されています。さらに黒を色彩のひとつとして積極的に用いていることも注目されます。


と、ここまではよく絵画の世界でも書かれていますが、彼は別の才能があったのと思います。もちろんアーティストは第一ですが、マーケティングの才能と商才です。

アーティストとしての才能です。彼が売れっこ作家であった理由は、単純にアーティストとしての才能が買われたこともあるでしょう。例えば、フランダースの犬の中に出てくるネロ少年が死の間際に最後に見た絵画、キリスト降下。


強烈な色彩と明暗のコントラスト、動きのある表現と演出力。見た人の心に強く訴えかける力があります。去年の暮れにベルギーのアントワープに行って実物を見ました。と言っても、アントワープ大聖堂の中に当日はミサのため入れず、入口から少し見た程度です。それでも、赤と黒の色彩が目に飛び込んできたのを覚えています。


しかし同時期には沢山の競合がいたのも事実です。そんな中、様々な国で何故、これほどまでに活躍したのでしょう。彼は、生涯にわたり3000点以上の作品を残しています。こんなに描くことが出来るものでしょうか?

単純に彼が絵の修業を始めたとする14歳頃から亡くなった1640年までの約50年間に制作活動を行ったとしても、1年に60点以上の作品を描いたことになります。これは1か月に5枚のペース、週に1枚以上のペースで書き続けなければ不可能な点数です。


ここに彼のマーケティングの才能と商才の秘密がありました。キーワードは工房です。彼の多くの絵画制作を実現することが出来たのは工房の存在でした。現在では、1人の画家が下絵から完成まで、ひとつの作品に全て1人で行うことが当たり前でしょう。


しかし、ルーベンスの時代は違っていました。ルネサンス以降成功した画家の多くは、宮廷や協会の天井画や壁画などの大作、個人からの注文に至るまで、幅広い注文に応える必要がありました。ルーベンスのように人気作家は、常に注文に追われ、まず1人で全てをこなすことが不可能だったのです。


そこに誕生したのが工房です。従ってルーベンスは優秀な画家であったと同時に、当時は工房の経営者でもあったのです。おそらく同時代に活躍していた多くの売れっ子画家は同様に経営の商才もあったのでしょう。


ルーベンスは単に注文を取って工房で仕上げる。という流れではなく、製作の依頼を受けると先ずルーベンス自身が注文の意向を依頼主から直接にヒアリングしました。そしてその主題に応じて全体の構造を練ったのです。その後、ルーベンスが描いた小さな下絵を依頼主に届け、更に相手からの要望に応じて手直しを加えるという手順を踏んでいたのです。


この流れはまさに顧客志向そのものですよね。さらに、きめ細かい対応に応じ切れたのも彼の絵の表現力に加えて、高いコミュニケーション能力があったと思います。


現在では、生き生きとした躍動感あるした絵は、時として完成した本画よりも高い評価が付いていることもあるのは上記の理由でしょう。ルーベンスに限っては、下絵は間違いなく本人が描いているからです。

かといって本画は手を抜いているわけではないのです。ルーベンスは下絵で注文の了承が取れたら、工房では弟子たちを動員して、本画の製作に入ります。工房には色彩に優れた弟子や背景を専門にした弟子など、様々な得意分野の弟子がいました。


彼らに丸投げすることなく、更に下絵から依頼主の要望を100%かなえるために弟子と協議しながら、本画の大画面を活かすために、下絵よりも効果的な構図や色遣いを臨機応変に仕上げていったのです。


実際、1人では仕上げることが出来ない大作でも、ディレクションをしながら細かな配慮に基づく変更なども、効果的な演出を出すためには、ルーベンス自身が作成の最後まで積極的にかかわっていたのでしょう。


ルーベンス。単に絵の才能を持った人物だけではなく、工房をまとめるリーダーであり、クライアントの要望をかなえるためのマーケターでした。そして工房を経営していくための経営者としての顔も持っていたのです。素晴らしい人物だったのでしょうね。